Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

宮本文昭/シティ・フィル

2015年03月22日 | 音楽
 東京シティ・フィルの3月定期。宮本文昭が3年の任期を終えて退任する最後の定期だ。プログラムは、ビゼー、ドビュッシー、ラヴェルのオール・フランス・プログラム。

 最後の「ダフニスとクロエ」第2組曲が終わって、カーテンコールが続く中、弦の奏者たちが譜面を用意し始めた。アンコールがあるな――と。宮本文昭が拍手を制して語り始めた。「このオーケストラは大変優秀なオーケストラで、指揮者がいなくても演奏できます。では、僕のこの3年間は一体なんだったのか(笑い)。」

 演奏された曲は、予想どおり、モーツァルトの「ディヴェルティメント ニ長調K.136」の第1楽章だ。宮本文昭は最初のキューだけ出して、指揮台を下りた。指揮者なしの演奏。弦の音が美しい。微妙なニュアンスも付いていた。

 再び宮本文昭の登場。拍手。オーケストラと合唱団(東京シティ・フィルコーア)から(だろうと思う)花束の贈呈。ステージ上の合唱団は大きな横断幕を掲げた。宮本文昭への感謝と今後の活動への応援が書かれていた。

 3月は別れの季節だが、これもその一つ。やっぱりジーンときた。指揮者・宮本文昭への思いはいろいろあったが、きれいに任期が終わってよかった。ボロボロになるのはこの人には似合わない。そのことは本人が一番よく分かっているだろう。

 この3年間の任期の中で確実に言えることは、木管に優秀な若手を入れたことだ。前述の「ダフニスとクロエ」第2組曲の中の「無言劇」でフルート・ソロを吹いた神田勇哉は、その象徴のように感じられた。音楽の表面をなでるのではなく、内奥に踏み込んだソロだった。宮本文昭の薫陶の賜物だ。

 もう一つは、宮本文昭の人脈で呼んだ指揮者たちを、今後どう継続するかだ。マネジメント側の手腕が問われる。

 4月からは新体制になる。高関健はプロ中のプロだ。衒学的で、かつ職人的。宮本文昭とは180度異なるキャラクターだ。東京シティ・フィルとの付き合いは、宮本文昭の登場よりも前に遡る。新年度のプログラムも意欲的で期待できる。

 一つ心配なことは、高関健が、このところ、譜面にこだわるあまり、出来上った演奏が妙に整理されすぎている観があることだ。高関健はこの地点に止まるべきではない。4月からの新シーズンが、高関健にとっても、シティ・フィルにとっても、実り多い日々になることを願ってやまない。
(2015.3.21.東京オペラシティ)
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