Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

小泉和裕//都響

2015年03月24日 | 音楽
 小泉和裕が振った都響の3月定期Bシリーズ。曲目はベートーヴェンの「ミサ・ソレムニス」。曲が曲だし、小泉和裕は最近、円熟味を増しているので、期待して出かけた。

 第1曲「キリエ」。Pブロックを埋め尽くした合唱団から圧倒的な音量が出た。まるで巨大な壁が目の前に立ちはだかるようだ。少々たじろぐ。巨大な音圧を受け止めきれなかった。合唱は栗友会合唱団と武蔵野音楽大学室内合唱団。

 第2曲「グローリア」。勢い込んで始まった冒頭部分、めくるめくような音の奔流だった。凄い。けれども、その一方で、近づけないような、音に弾かれそうな感覚になった。

 第3曲「クレド」になって、やっと落ち着いた。起伏にとんだ演奏だ。入念な設計が施されている。その入念さに舌を巻いた。そうか、第1曲も第2曲も、全体の設計の中の一部分だったのかと気付いた。

 そう分かってみると、第4曲「サンクトゥス」も第5曲「アニュス・デイ」も、全体設計の中での位置付けがよく分かった。明快な設計だ。なお「サンクトゥス」のヴァイオリン・ソロは矢部達哉が担当した。艶のある甘美な音色だった。

 「アニュス・デイ」が穏やかに終わって、盛大な拍手が起きたが、わたしは内心、空疎な気分に陥った。なにも残っていなかった。怪物的なこの曲から、なにも伝わってこなかった。演奏上の設計の、その見取り図だけが残った。

 昨年聴いたメッツマッハー/新日本フィルの演奏では、ベートーヴェンの精神の強靭な張りを感じた。人並み外れた強靭さだった。ベートーヴェンの精神は、常人には及びもつかない強靭なものだったと思い知らされた。でも、今回はなにもなかった。

 独唱陣は、アルトの山下牧子に感銘を受けた。強い声の持ち主だ。その強い声はベートーヴェンの音楽の深いところに触れていた。新国立劇場で何度も聴いている歌手だが、(オペラもいいが)こんな適性があるとは知らなかった。テノールの小原啓楼は、新国立劇場の「沈黙」以来の大ファンだ。今回も熱い歌唱だった。バスの河野克典はもうヴェテランだ。文句なし。

 ソプラノは、当初発表の安井陽子が(出産準備のため)シュレイモバー金城由起子に代わり、さらに公演直前になって(体調不良とのことで)吉原圭子に代わった。そういうハンディがあったので、一概にはいえないが、アンサンブルの中で影が薄かった。
(2015.3.23.サントリーホール)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする