Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

マノン・レスコー

2015年03月17日 | 音楽
 旅の記録を書いていたので、遅くなってしまったが、新国立劇場の「マノン・レスコー」を観たので、その記録を。

 まず、舞台がきれいだと思った。演出のジルベール・デフロのプロダクション・ノートにあるとおり、ひじょうにシンプルな舞台だ。具体的にあれこれ詰め込まず、シンプルな装置の中で、衣装と照明の色彩が上品な美しさを醸し出す。趣味のよさが感じられる舞台だ。

 演技は、マノン/デ・グリュー/レスコーのグループと、ジェロント/舞踏教師/音楽家のグループとに分けられる。マノンたちはリアルな演技。ジェロントたちはコミカルな演技。両グループは截然と分けられている。両者の対比がこの演出の肝だ。

 大金持ちのジェロントの好色さを笑い飛ばしているわけだが、実はこの点に少し違和感があった。好色なのはいいが、ここまで愚かに描く必要はあったろうか。かりにも大蔵大臣の職にある人間だ。もっと世間知とか、狡さがあるはずではないか。ジェロントのこの描き方が、物語を底の浅いものにした。

 歌手ではデ・グリューを歌ったグスターヴォ・ポルタがよかった。昨年「道化師」のカニオを聴いたが、そのときと同様、圧倒的な感情表現だ。甘く能天気なテノールではなく、激情のテノールだ。マノンを歌ったスヴェトラ・ヴァッシレヴァは、声域によって多少のムラを感じた。むしろ容姿による貢献が大だった。

 ジェロントを歌った妻屋秀和は、いつものとおり、外人勢に交じっても少しも引けを取らない。声も体躯も立派に伍している。それだけではなく、この人の場合はドイツ生活が長いだけに、メンタリティでも伍している。その点が他の日本勢と違うところだ。

 指揮のピエール・ジョルジョ・モランディにも感心した。淡々と流すことなく、ドラマの高まりに向けてオーケストラを追いあげていく。急流のような音の渦が生まれる。このくらい熱い演奏でないと、プッチーニのよさは味わえない。

 今さら言うまでもないが、この公演は元々2011年3月に予定されていた。ドレスリハーサルまで終わっていたそうだが、ゲネプロ直前に東日本大震災が起きた。公演は中止された。順調な仕上がりが伝えられていたが、幻の公演になった。今回、指揮者は変わったが、上記の歌手をふくむ声楽陣はほぼそのまま揃って、復活公演となった。それは喜ぶべきだが、当時伝えられていた好調さは、今回完全に復活したのだろうか。
(2015.3.12.新国立劇場)
コメント
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