Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

魔法の笛

2015年09月10日 | 音楽
 こんにゃく座の公演で「魔法の笛」。モーツァルトの「魔笛」の翻案だ。楽しみにしていた。そして期待どおりだった。

 照明が暗くなると、旅芸人の一座が、客席の通路を通って登場する。座長のシカネーダーは多額の借金を抱えて困っている。モーツァルトにオペラを書いてくれと頼む。気のいいモーツァルトは引き受ける。こういったやりとりが序曲に乗せて歌われる。序曲が声のアンサンブルになっている!

 大蛇に追われたタミーノが登場する。オペラの始まりだ。恐怖のあまり気を失うタミーノ。シカネーダーの弟が出てきて注釈する。「これはフリーメーソンの‘死’のイニシエーションを模したもので‥」と。ちょっと煩わしい。

 パパゲーノが登場する。シカネーダー役の大石哲史の一人二役だ。シカネーダーがパパゲーノに扮した(シカネーダーの当たり役だった)史実をなぞったもの。思わずニヤッとした。

 モーツァルト自身も折にふれて登場する。頭に浮かんだ楽想を書き留めるモーツァルト。音楽への愛にあふれている。「魔笛」の作曲に夢中だ。「レクイエム」は後回し。この人物があと数か月後に世を去ることになる。そう思うと少ししんみりする。

 全体的に‘芝居小屋’の雰囲気が漂う。それが「魔笛」によく似合う。2008年に南アフリカの団体が来日して「魔笛」を上演したことがある。それを想い出した。こういってはなんだが、大劇場が上演する‘格調の高い’公演よりも、これらの公演のほうがよっぽど楽しい。ウィーン中心部のブルク劇場ではなく、郊外のアウフ・デア・ヴィーデン劇場で初演されたこのオペラの出自のゆえかもしれない。

 「魔法の笛」は林光の訳詞だ。ドイツ語とちがってよく分かる。なので、このオペラの問題点というか、はっきりいって、男尊女卑の思想が、あからさまに出る。たとえフリーメーソンの思想に由来するとしても、ちょっと引っかかる。

 それはシカネーダーの罪だろうか。いや、シカネーダーはすべてが分かっていたはずだ。表向きはフリーメーソンの思想に合わせた。でも、実際にはパパゲーノなどに共感を寄せていた。モーツァルトもシカネーダーの真意をよく分かっていた。なので、パパゲーノ(タミーノではない)とパミーナの愛への憧れのニ重唱に極上の音楽を書き、夜の女王やモノスタトスのために活気あふれる音楽を書いた。二人は深く理解し合っていた――と、そんな想像をした。
(2015.9.9.俳優座劇場)
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