ブロムシュテット指揮のN響Aプロ。曲目はベートーヴェン2曲。1曲目は交響曲第2番。かちっと構築された格調高い演奏。ブロムシュテットの精神の張りを感じさせる。隙のない演奏なので、たとえば第4楽章の冒頭のテーマは――ベートーヴェン一流のユーモアが込められたテーマだが――そのユーモアが突出せずに、全体の中のあるべき場所にきっちり収まる。その分ユーモアとしては不完全燃焼かもしれない。
交響曲第2番は昔から好きな曲だ。ベートーヴェンの9曲の交響曲のなかで、どれか1曲聴かせてあげると言われたら、迷わず第2番を選ぶ。
なぜ好きなのだろう。たぶん第1楽章の第2主題が好きなのだ。分散和音で上がっていくテーマ。そのテーマ自体もさることながら、伴奏部分の弦の動きや暖色系のーモニーが好きなのだ。
こういう類いの‘好きな曲’というのはあるものだ。以前、飯守泰次郎氏が東京シティフィルのプレトークで、ブルックナーの交響曲の中では第6番が好きだと言っていた。わたしにとっては第6番を見直すきっかけになった。また平井洋氏はブログで「エレクトラは好きだが、サロメは嫌いという人がいる」と書いていた。我が意を得たりと思ったものだ。
ついでながら、わたしはシューベルトの交響曲でも第2番が好きだ。こういう、地味かもしれないが、自分にとって大切な曲が、年齢とともに絞り込まれてきたような気がする。
さて、話を戻すと、ブロムシュテットは今年88歳だそうだ。ステージの出入りには多少足を引きずるが、指揮台に立つと矍鑠としたもの。椅子に座ることもなく、立って指揮をする。先日聴いたオリヴァー・ナッセンが、ステージの出入りの際には杖を使い、指揮台では椅子に腰かけて指揮をしたので、その違いが際立った――もっとも、ナッセンの指揮棒は人並み外れて鋭かったが――。
2曲目はピアノ協奏曲第5番「皇帝」。ピアノ独奏はティル・フェルナー。音がまろやかで美しい。よく流れる演奏だ。だが、交響曲第2番でのブロムシュテットの、音の四隅をきちっと合わせるような演奏とはやや異質だ。ブロムシュテット/N響もこの曲では適当に流していたような観がある。
それにしてもこの曲の第2楽章は、なんとロマンティックな音楽だろう。ベートーヴェンが書いた音楽の中でも、夢見るような美しさでは屈指の一作だろう。
(2015.9.27.NHKホール)
交響曲第2番は昔から好きな曲だ。ベートーヴェンの9曲の交響曲のなかで、どれか1曲聴かせてあげると言われたら、迷わず第2番を選ぶ。
なぜ好きなのだろう。たぶん第1楽章の第2主題が好きなのだ。分散和音で上がっていくテーマ。そのテーマ自体もさることながら、伴奏部分の弦の動きや暖色系のーモニーが好きなのだ。
こういう類いの‘好きな曲’というのはあるものだ。以前、飯守泰次郎氏が東京シティフィルのプレトークで、ブルックナーの交響曲の中では第6番が好きだと言っていた。わたしにとっては第6番を見直すきっかけになった。また平井洋氏はブログで「エレクトラは好きだが、サロメは嫌いという人がいる」と書いていた。我が意を得たりと思ったものだ。
ついでながら、わたしはシューベルトの交響曲でも第2番が好きだ。こういう、地味かもしれないが、自分にとって大切な曲が、年齢とともに絞り込まれてきたような気がする。
さて、話を戻すと、ブロムシュテットは今年88歳だそうだ。ステージの出入りには多少足を引きずるが、指揮台に立つと矍鑠としたもの。椅子に座ることもなく、立って指揮をする。先日聴いたオリヴァー・ナッセンが、ステージの出入りの際には杖を使い、指揮台では椅子に腰かけて指揮をしたので、その違いが際立った――もっとも、ナッセンの指揮棒は人並み外れて鋭かったが――。
2曲目はピアノ協奏曲第5番「皇帝」。ピアノ独奏はティル・フェルナー。音がまろやかで美しい。よく流れる演奏だ。だが、交響曲第2番でのブロムシュテットの、音の四隅をきちっと合わせるような演奏とはやや異質だ。ブロムシュテット/N響もこの曲では適当に流していたような観がある。
それにしてもこの曲の第2楽章は、なんとロマンティックな音楽だろう。ベートーヴェンが書いた音楽の中でも、夢見るような美しさでは屈指の一作だろう。
(2015.9.27.NHKホール)