Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

金山康喜展

2015年09月04日 | 美術
 世田谷美術館で開催されている金山康喜展。会期末の9月6日が迫ってきたので、仕事の都合をつけて行ってきた。

 早逝の画家、金山泰喜(1926‐1959)。1951年にパリに渡った。1958年9月に一時帰国のつもりで日本に戻った。翌1959年3月24日から4月5日まで銀座の文藝春秋画廊で個展を開催。4月に入院。6月18日に急逝した。自殺だといわれているが、本展では触れられていない。

 パリで一気に才能が開花した。日本にいた頃から静物画を中心に制作していたが、パリに渡ってからは、静物画に集中した。身の回りにある壜、時計、コーヒーミルなどが対象だ。青色が透明になる。「限りなく透明に近いブルー」という小説の題名を想い出した。作品世界はまるで違うが、言葉のイメージは近い。

 どの作品も好感度が高いが、1点だけ挙げるなら、チラシ(↑)に使われている「静物O[鏡の前の静物]」(1956年)を挙げたい。青いガラス壜、小さな壜(牛乳壜だろうか)、目覚まし時計そしてコーヒーポットが、黄色い布を敷いた折り畳み式の棚に置かれている。上から裸電球が垂れている。明るく光っている。

 壁には大きな鏡が掛かっていて、それらの物を映している。窓も映っている。外は夕映えだ。室内は暗いのだろう。電気が点いている所以だ。

 透明な抒情。鏡の存在が二重の透明感を演出する。裸電球が暖かい。青いガラス壜は画家本人だろうか。パリの屋根裏の部屋(他の作品で天窓が描かれているものがある)で孤独を楽しむ画家。満ち足りた心境。

 サイズは縦100.0㎝×横80.0㎝。けっして小品ではない。堂々たる存在感がある。そういう作品が並んでいる。じつに見応えがある。

 金山康喜とパリの日々をともにした画家たちの作品も並んでいる。大先輩の藤田嗣治(1886‐1968)、父親の世代の荻須高徳(1901‐1986)の他、同世代の野見山暁治(1920‐)、堂本尚郎(1928‐2013)等々。同世代の画家たちの作品は、戦後の激動の時代を反映して、半具象あるいは抽象へと動いている。その中にあって、金山康喜だけが、エアポケットのように、そこに在る。自分の世界に留まって、じっと動かない。周囲からは奇異な眼で見られただろう。金山自身辛い時もあっただろう。でも、自分の世界を守り通した。今それが大輪の花となって開こうとしている。
(2015.9.3.世田谷美術館)

本展のHP
コメント (2)
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