新国立劇場のミュージカル公演「パッション」。スティーヴン・ソンドハイム(1930‐)の作詞・作曲だ。ミュージカルにはまったく疎いので、この作品は名前さえ知らなかった。ソンドハイム作品を観るのも初めて。そもそもミュージカルを観たことがほとんどないのだが、さて、これはどんな作品か。
時は19世紀、場所はイタリア。若い兵士ジョルジオは美しい人妻クララとの不倫に夢中だ。そんなとき、上官の従姉妹で病身のフォスカと出会う。フォスカはジョルジオに一目ぼれする。ジョルジオはフォスカを邪険に扱う。でも、フォスカは諦めない。どんな屈辱を受けても慕い続ける。フォスカの惨めさが頂点に達したとき、ジョルジオの心が動く。フォスカの愛を理解する。その3日後にフォスカは息を引き取る。
これは愛の伝説だ。観終わってから一夜明けた今、わたしの心の中には固い結晶のようなものが残っている。いつまでも残っていそうな結晶だ。
わたしの数少ないミュージカル経験と、この作品とでは、基本的な性格がまるで違う。波乱万丈のストーリー展開とか、スペクタクル的な見せ場とか、そんなものはまったくない。これは濃密な心理劇だ。ジョルジオとフォスカとクララの心理の綾に焦点が絞られる。それが大写しされる。
オペラでも類似の作品は思いつかない。この作品はそれほどユニークな作品ではないだろうか。
念のためにいうと、幕開き早々のジョルジオとクララとのベッド・シーンは「ばらの騎士」の幕開きを連想させる。またジョルジオと上官(クララの叔父)との決闘シーンは「エフゲニー・オネーギン」を連想させる。幕切れの放心したジョルジオの姿は「ホフマン物語」の幕切れの雰囲気に似ている。でも、そんなことは些細なことだ。この作品の本質には触れていない。
初演は1994年。ソンドハイムの代表作とされる作品はすでにすべて書き上げられている時期だ。だからだろうか、本作にはソンドハイムの高度に芸術的で繊細な手つきが感じられる。
上記の主要登場人物を歌った3人の役者は、歌、演技ともにすばらしかったが、中でもフォスカを演じたシルヴィア・グラブに感銘を受けた。グラブの迫真の演技がこの作品を一種の‘伝説’にしたと思う。名前も容姿も外人風だが、自然な日本語だ。どういう人だろうと思って調べてみたら、スイス人と日本人とのハーフだった。
(2015.11.5.新国立劇場中劇場)
時は19世紀、場所はイタリア。若い兵士ジョルジオは美しい人妻クララとの不倫に夢中だ。そんなとき、上官の従姉妹で病身のフォスカと出会う。フォスカはジョルジオに一目ぼれする。ジョルジオはフォスカを邪険に扱う。でも、フォスカは諦めない。どんな屈辱を受けても慕い続ける。フォスカの惨めさが頂点に達したとき、ジョルジオの心が動く。フォスカの愛を理解する。その3日後にフォスカは息を引き取る。
これは愛の伝説だ。観終わってから一夜明けた今、わたしの心の中には固い結晶のようなものが残っている。いつまでも残っていそうな結晶だ。
わたしの数少ないミュージカル経験と、この作品とでは、基本的な性格がまるで違う。波乱万丈のストーリー展開とか、スペクタクル的な見せ場とか、そんなものはまったくない。これは濃密な心理劇だ。ジョルジオとフォスカとクララの心理の綾に焦点が絞られる。それが大写しされる。
オペラでも類似の作品は思いつかない。この作品はそれほどユニークな作品ではないだろうか。
念のためにいうと、幕開き早々のジョルジオとクララとのベッド・シーンは「ばらの騎士」の幕開きを連想させる。またジョルジオと上官(クララの叔父)との決闘シーンは「エフゲニー・オネーギン」を連想させる。幕切れの放心したジョルジオの姿は「ホフマン物語」の幕切れの雰囲気に似ている。でも、そんなことは些細なことだ。この作品の本質には触れていない。
初演は1994年。ソンドハイムの代表作とされる作品はすでにすべて書き上げられている時期だ。だからだろうか、本作にはソンドハイムの高度に芸術的で繊細な手つきが感じられる。
上記の主要登場人物を歌った3人の役者は、歌、演技ともにすばらしかったが、中でもフォスカを演じたシルヴィア・グラブに感銘を受けた。グラブの迫真の演技がこの作品を一種の‘伝説’にしたと思う。名前も容姿も外人風だが、自然な日本語だ。どういう人だろうと思って調べてみたら、スイス人と日本人とのハーフだった。
(2015.11.5.新国立劇場中劇場)