Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

原田敬子の作品

2015年11月01日 | 音楽
 サントリー芸術財団の「作曲家の個展2015」で取り上げられた原田敬子の作品。中でもピアノ協奏曲が忘れられない。その後もずっと想い返している。

 当日配布されたプログラムに原田敬子の作品リストが載っていた。それを眺めていてハッとしたのだが、2006年に「アザー・サイドⅡ」というオーケストラ曲があり、アルブレヒト指揮の読響が初演している。ひょっとするとこれは聴いているかもしれないと、日記をひっぱりだしてみたら、やっぱり聴いていた。

 聴いたことすら忘れているのだから、頼りない話ではあるのだが、日記には「原田敬子の作品は構造的な骨格をもつもので、女性的な感性を感じさせない。」と書いてあった。当日はバートウィッスル、グバイドゥーリナ等、計4曲が演奏された。グバイドゥーリナは大好きな作曲家なのだが、感想は原田敬子のこの曲についてだけ記してあった。余程感じるところがあったのだろう。

 原田敬子をはっきり意識したのは2014年に都響の定期で再演された「エコー・モンタージュ」(2008)を聴いたときだ。指揮は秋山和慶で驚くほどアグレッシヴな演奏だった。わたしは日記に「鮮烈かつ大胆な曲。すごい才能だ。」と書いている。

 今回の作曲家の個展では計4曲が演奏されたが、中でも前記のように「ピアノ協奏曲」(2013‐15)に感銘を受けた。どんな曲だったかをなぞって記述する力はないが、なにか特別な曲だと感じた。また演奏も特別な、感動的なまでに献身的な演奏だった。

 この曲のなにがどう特別かは説明できないが、音の新鮮さと緊張感が桁外れだ――こんな一般的な言葉でしか表現できないのが情けないが――。他の3曲に比べてもそうだが、同時代の他の作曲家に比べてもそうだと感じた。約25分という比較的長い演奏時間中、気をそらすことがなかった。その音のイメージが今でも記憶に残っている。

 以上、一人の作曲家に3度も感銘を受けた。これはそんなにあることではない。この作曲家の才能に惹かれる所以だ。

 もっとも、正直にいっておくと、作曲家の個展で演奏された最新作の「変風」(2015)には特別なものを感じなかった。前へ前へと行っていたものが、急に後戻りしたような、歩みを止めてしまったような、そんな印象を受けた。

 実をいうと、小さな刺が刺さったような危惧を抱いた。‘尖った’個性が尖ったまま創作活動を続けるよう願っている。
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