Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

八丈島の年末年始

2016年01月03日 | 身辺雑記
 年末年始に八丈島に行った。八丈富士と三原山(伊豆大島の三原山が有名だが、八丈島にも同名の山がある)に登るのが目的。12月30日に着いて、その日のうちに八丈富士に登り(山頂では風が強くて吹き飛ばされそうだった)、翌日の大晦日には三原山に登った(下山路では雨に降られたが、たいした降りではなかったので助かった)。

 さて、元旦。どう過ごすか。八丈島というと流人の歴史を想い出す。前日に観光協会を覗いたところ、歴史民俗資料館があって、元旦でも開いているとのことだったので、訪ねてみた。旧・八丈支庁舎の古い木造の建物を使った資料館。建物自体から島の歴史が感じられる。

 流人の歴史は、思いがけず、はっきりしていた。流人の第1号は宇喜多秀家(うきたひでいえ)という武将。関ヶ原の戦いで西軍の主力として戦った。戦いに破れて捕えられ、八丈島に流された(じつはその間に入り組んだ経過があるが、省略させてもらう)。

 流人は1,900人を数えたそうだ。権力闘争に敗れた者、不条理な扱いを受けた者など、一人ひとりにドラマがあったと察しられる。

 流人は江戸やその他の文化や技術を伝えた面もあるようだ。島の人々から尊敬された流人もいたようだ。人生の哀歓を感じさせる話だ。人間、どんな目にあっても、今その場での生き方を大切にしなければいけないと自戒した次第だ。

 歴史民俗資料館を出て、さて、どうするか。ふと思い出したのが團伊玖磨だ。團伊玖磨は八丈島に別荘を持っていたはずだ。それはどこだったろう。観光協会に行ってみると、場所はすぐ分かった。三原山から下山してバスに乗った場所の近くだ。あのあたりだったのか――。商店が一つあるだけの小さな集落。「バス道路から奥に入った、目の前に海が見えるいい所ですよ」と。今では空き家になっているが、きちんと管理されているそうだ。

 そういえば、ホテルのロビーには、團伊玖磨の名前が付いたコンサートのチラシが貼ってあった。そのコンサートはすでに終わっていたが、島の人々から誇りに思われている様子が窺えた。ついでながら、空港のロビーのBGMには「花の街」が含まれていた。

 1月2日に帰京した。家に帰ったら、家の中はすっかり冷えていた。やはり八丈島は暖かかった。海風が心地よかった。セーターなどいらなかった。日差しが強くて、樹木の緑が鮮やかだった。南国の植物が生い茂っていた。さっそく懐かしくなった。
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