Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

大植英次/日本フィル

2016年01月10日 | 音楽
 大植英次が日本フィルを振るのは初めてだそうだ。いかにも相性がよさそうな両者なので、意外な気がする。さて、初顔合わせの両者がどんな火花を散らすか。期待をこめて出かけた。

 1曲目はヴィヴァルディの「四季」。「春」の冒頭では晴天の青空を思わせるような澄んだ音が出た。日本フィルは好調かなと思った。ヴァイオリン独奏はソロ・コンサートマスターの木野雅之。明るく艶のある音色で呼応していた。

 「夏」になると演奏にドラマが加わった。振幅の大きい激しい表現。最後の部分では木野雅之の切れ味のいいソロに息をのんだ。「秋」では穏やかな表現に戻ったが、「冬」では再び劇的な表現が繰り広げられた。

 通奏低音のチェロを受け持ったソロ・チェロ奏者の辻本玲の太く逞しい――語弊があるかもしれないが‘ドスのきいた’――演奏に瞠目した。たいへんな才能だ。今年7月にはドヴォルジャークのチェロ協奏曲を弾く予定なので(指揮はラザレフ)楽しみだ。

 2曲目はドヴォルジャークの「新世界より」。木野雅之がコンサートマスターに入った。逞しい。こういうノリはいい。

 第1楽章の序奏は、波のような曲線を描く、大きくデフォルメされた演奏。これには驚いた。言葉は悪いが、まるで一つ目小僧が出るような物々しさだった。第1主題になったら普通の演奏になったが、第2主題が出る手前でまたデフォルメされた。

 以下、このデフォルメされた表現が度々顔を出した。これはなんだろうと思った。わたしの脳裏に浮かんだのは、晩年のバーンスタインがイスラエル・フィルを振って入れた「新世界より」のCDだ。あの演奏もこんな独特な部分がなかったろうか。

 大植英次を聴いたのは数年ぶりだが、前はもっとストレートな表現だった記憶がある。今回もし前のようなストレートな表現だったら、日本フィルとの出会いはもっと鮮烈になったような気がする。

 もっとも、わたしはこの演奏を楽しんだ。他の方々も楽しんだようだ。演奏後の拍手は盛んだった。でも、オーケストラの団員はどうだったろう。いつものコ○○ンとは違うスタイルを楽しんだろうか。

 アンコールはなんだろうと思ったら、「アメイジング・グレイス」だった。会場には小さなどよめきが起こった。意外な選曲。しかも「新世界より」との相性もいい。しみじみとした気分に浸った。
(2016.1.9.横浜みなとみらいホール)
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