Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

ソヒエフ/N響

2016年01月16日 | 音楽
 トゥガン・ソヒエフは1977年生まれ。まだ30代だが、トゥールーズ・キャピトル劇場管弦楽団の音楽監督、ベルリン・ドイツ交響楽団の首席指揮者、ボリショイ劇場の音楽監督(同劇場管弦楽団の首席指揮者を兼務)の3ポストを占める。まさに働き盛り。多忙を極めるにちがいない。

 そのソヒエフが振ったN響の定期。1曲目がブラームスのヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲、2曲目がベルリオーズの「幻想交響曲」。2013年6月にソヒエフがウィーン・フィルを振ったときのプログラムと同じ(もっとも同月の定期ではなく、ソワレ・コンサートのプログラムだが)。

 ソリストも同じ。ヴァイオリンがウィーン・フィルのコンサートマスター、フォルクハルト・シュトイデ、チェロが同フィルのソロ・チェロ奏者、ペーテル・ソモダリ。

 冒頭、オーケストラから張りのある音が出る。さすがに今が旬、現役バリバリの指揮者の音だ。やがてソロが入ってくる。情熱的に、前へ前へと弾いていく。

 だが、いつとはなく、わたしの気持ちは離れていった。2人のソリストはともかく、オーケストラに面白味を感じなくなった。もしこれがウィーン・フィルの演奏会なら、お馴染みの奏者がソロを努めているので、応援しながら聴いただろう。でも、N響という別の土壌に移植された2人だ。そんな聴き方はできなかった。

 2曲目の「幻想交響曲」が始まると、冒頭の弦の音から、明確な音のイメージをもって演奏していることが伝わってきた。前曲とは格段の差だ。それは最後まで持続した。ハイレベルの演奏が続いた。「幻想交響曲」など演奏し慣れているN響の団員だが(それはN響に限らずどのオーケストラでもそうだが)、真剣に、真新しい気持ちでこの曲に取り組んでいることが感じられた。

 そういう演奏だったからだろう、わたしも真新しい気持ちで聴くことができた。もう何十年も聴いている曲なので、今頃こんなことに気付くのはどうかと思うが、第1楽章から第3楽章まではトロンボーン3本とチューバ2本は出番がない。第4楽章、第5楽章でやっと出番がある。悪夢の世界のどぎつい色彩を加える。

 この曲が初演されたのは1830年。ベートーヴェンが亡くなってから3年しか経っていない。当時の人々は4人の奏者がティンパニを叩くのを見て仰天しただろう。もしもベートーヴェンが見たら大喜びしたかもしれない。
(2016.1.15.NHKホール)
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