Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

イェヌーファ

2016年03月03日 | 音楽
 新国立劇場の「イェヌーファ」を観た。タイトルロールのミヒャエラ・カウネ、コステルニチカのジェニファー・ラーモア、ラツァのヴィル・ハルトマンの主要歌手3人はきわめて高水準。万全の布陣だ。プロフィールによると、これら3人はベルリン・ドイツ・オペラの公演でも歌ったそうだ。

 クリストフ・ロイの演出、ディルク・ベッカーの美術、その他、衣装も照明も振付も、すべてベルリン・ドイツ・オペラからのレンタル。最近、新国立劇場の公演は海外からのレンタルが目立つが、これもその一つ。

 たしかに優れたプロダクションだ。十分吟味して選んだろうから、むしろ当然だ。当たり外れがあるわけがない。でも、正直にいうと、こういった‘擬似’引っ越し公演のようなものにどれだけ意味があるのだろうかという気もした。

 本来、劇場にはオペラへの‘愛’が必要ではないか。オペラに対する溢れるばかりの愛(=情熱)がなければ、劇場は詰まらないものになってしまうと思う。その意味でレンタルというのはどんなものだろう。たまにはいいかもしれないが、最近の新国立劇場はレンタルに頼っている感じがする。

 そんな複雑な気持ちを抱えて「イェヌーファ」を観た。前述のとおり主要歌手3人は申し分ない。ロイの演出も分かりやすい。トマーシュ・ハヌスの指揮もきめ細かい。総体的に完成度が高い公演。きれいに剪定された庭木を見るような気がした。

 でも、生々しい人間のドラマは感じられなかった。第2幕で深まるはずのコステルニチカの苦悩も、ラツァの動揺も、イェヌーファの絶望も、生々しさに欠け、表面的なものに止まっていた。第3幕でイェヌーファを追い詰める村人たちの怒りも切迫感に欠けた。なので、そんな村人たちを押し止めるラツァの一声も、妙に空回りしていた。

 どうしてこうなるのだろう。ベルリンでの公演もそうだったとは、ちょっと考えられない。彼の地では、もっと生々しい情熱が渦巻いていたのではないだろうか。レンタル云々とは別問題だが、そんなことも考えさせられた。

 話を元に戻して、レンタルには劇場側の予算の問題があるのかもしれない。やりたくてやっているわけではないだろうと思う。でも、予算を抑えてレンタルに頼るか、低予算でも頭を使ってアッと驚く公演をやるか。わたしは後者に与したい。そんな公演を作り上げる人々が集まる劇場になってほしい。
(2016.3.2.新国立劇場)
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