高関健が指揮する東京シティ・フィルの3月定期はドヴォルジャークの「レクイエム」。わたしの大好きな曲だが、意外に実演では聴く機会が少ないので、楽しみにしていた。
総体的に第1部(第1曲「レクイエム・エテルナム」~第8曲「ラクリモーザ」)よりも、第2部(第9曲「オッフェルトリウム」~第13曲「アニュス・デイ」)のほうが充実した演奏が続いた。演奏への没入。確信をもった演奏が繰り広げられた。
第9曲「オッフェルトリウム」の後半のフーガが見事だった。音楽の歓びが爆発するようだった。わたしは久しぶりに音楽の原点に戻ったような気がした。音楽とは抽象的な音の構成ではなく、人生の喜びや悲しみ、あるいは不安や苦しみに共振し、そばに寄り添うものだと思った。だれでも分かっているそんなことを、(じつは仕事上でちょっとしたことがあったので)あらためて想い出した。
独唱はソプラノ中江早希、メゾ・ソプラノ相田麻純、テノール山本耕平、バリトン大沼徹という若手4人だった。いずれ劣らぬ個性を持った人たち。中でもわたしは相田麻純に注目した。芯のある声と、宗教音楽にふさわしい厳しい歌い方を持っていた。
合唱は東京シティ・フィル・コーア。欲を言えばきりがないが、ともかくこの大曲を歌いきったことは大健闘だ。
全体としては、高関健の力量が光った演奏だ。とくに(繰り返しになるが)第2部に入ってからの充実した流れは、高関健のリードの賜物だ。オーケストラについて言えば、東京シティ・フィルの持ち前の熱い演奏が、(その熱さが少しも損なわれることなく)高関健によってまとめられ、明快に方向づけられていた。
東京シティ・フィルは2015年4月に高関健体制になって1年がたった。こう言ってはなんだが、前任者との3年間が空白の3年間だったような気がするほど、多彩なプログラムで演奏活動を続けている。来季のプログラムもベルリオーズの劇的物語「ファウストの劫罰」など変化に富んでいる。
なお(チラシに書いてあったが)このドヴォルジャークの「レクイエム」は、東日本大震災から5年を意識した選曲だった。先日ローター・ツァグロゼク指揮の読響がリヒャルト・シュトラウスの「メタモルフォーゼン」を演奏したのも同様の趣旨から。あえて声高には謳わないが、東日本大震災を忘れないでいることが嬉しい。
(2016.3.18.東京オペラシティ)
総体的に第1部(第1曲「レクイエム・エテルナム」~第8曲「ラクリモーザ」)よりも、第2部(第9曲「オッフェルトリウム」~第13曲「アニュス・デイ」)のほうが充実した演奏が続いた。演奏への没入。確信をもった演奏が繰り広げられた。
第9曲「オッフェルトリウム」の後半のフーガが見事だった。音楽の歓びが爆発するようだった。わたしは久しぶりに音楽の原点に戻ったような気がした。音楽とは抽象的な音の構成ではなく、人生の喜びや悲しみ、あるいは不安や苦しみに共振し、そばに寄り添うものだと思った。だれでも分かっているそんなことを、(じつは仕事上でちょっとしたことがあったので)あらためて想い出した。
独唱はソプラノ中江早希、メゾ・ソプラノ相田麻純、テノール山本耕平、バリトン大沼徹という若手4人だった。いずれ劣らぬ個性を持った人たち。中でもわたしは相田麻純に注目した。芯のある声と、宗教音楽にふさわしい厳しい歌い方を持っていた。
合唱は東京シティ・フィル・コーア。欲を言えばきりがないが、ともかくこの大曲を歌いきったことは大健闘だ。
全体としては、高関健の力量が光った演奏だ。とくに(繰り返しになるが)第2部に入ってからの充実した流れは、高関健のリードの賜物だ。オーケストラについて言えば、東京シティ・フィルの持ち前の熱い演奏が、(その熱さが少しも損なわれることなく)高関健によってまとめられ、明快に方向づけられていた。
東京シティ・フィルは2015年4月に高関健体制になって1年がたった。こう言ってはなんだが、前任者との3年間が空白の3年間だったような気がするほど、多彩なプログラムで演奏活動を続けている。来季のプログラムもベルリオーズの劇的物語「ファウストの劫罰」など変化に富んでいる。
なお(チラシに書いてあったが)このドヴォルジャークの「レクイエム」は、東日本大震災から5年を意識した選曲だった。先日ローター・ツァグロゼク指揮の読響がリヒャルト・シュトラウスの「メタモルフォーゼン」を演奏したのも同様の趣旨から。あえて声高には謳わないが、東日本大震災を忘れないでいることが嬉しい。
(2016.3.18.東京オペラシティ)