Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

アーノンクール逝去

2016年03月07日 | 音楽
 我が家にはテレビがないので、情報はもっぱら新聞とラジオに頼っているが、今朝、新聞を開くと、アーノンクールの訃報が載っていた。こういってはなんだが、そんなに驚かなかった。8時のNHKのニュースが始まった。いつものように殺人とかなんとか、どうでもいいニュースだろうと思っていたら、トップニュースでアーノンクールの逝去が告げられた。これには驚いた。アーノンクールが今の日本の社会でそれほど重みのある存在になっているとは思わなかった。

 アーノンクールは、キャリアの後半ではベルリン・フィルやウィーン・フィルを振る大家になったが、わたしの中ではウィーンの異端児だった頃のイメージが強烈だ。ウィーン・コンツェントゥス・ムジクスを結成して、バロック音楽を盛んに録音していた。

 ヴィヴァルディの「四季」の録音に驚愕した。イ・ムジチ合奏団の、滑らかな、澄みきった青空のような、品のいい演奏とは正反対の、尖った、軋むような、挑みかかるような演奏だった。ものすごく面白かった。音楽的な質の高さも感じた。真正な音楽がどこかにあった。

 アーノンクールはやがてモダン・オーケストラを振るようになった。アムステルダムのコンセルトヘボウ管を振ったモーツァルトのレコードを買った。鋭いアクセントがいかにもアーノンクールらしかった。そのときも真正な音楽を感じた。

 アーノンクールはチューリヒ歌劇場の常連になって、モーツァルトやモンテヴェルディを振っていた。ぜひ聴いてみたいと思った。でも、結局は行けなかった。あの頃のアーノンクールを聴いていたら――。今振り返ると残念だ。

 大家になってからのアーノンクールでは、ブルックナーの交響曲第9番の未完の第4楽章のフラグメント(断片的な草稿)を録音したCDが忘れられない。‘尖った’などという言葉を通り越す激烈なブルックナー。ブルックナーのイメージを打ち砕く録音だった。

 結局、実演では一度も聴けなかった。ウィーン・フィルを率いて来日したこともあったが、わたしは行かなかった。実演は聴けなかったが、録音だけでも、アーノンクールは鮮烈な印象を残した。そんな指揮者は、現役指揮者ではアーノンクールしかいない。

 アーノンクールが主宰するグラーツのシティリアルテ音楽祭で、ガーシュインの「ポーギーとベス」がプログラムに載ったことがある。わたしの大好きなオペラをアーノンクールが振る――。あれだけは聴きたかった。
コメント (7)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする