Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

気仙沼と、東日本大震災の記憶

2016年03月14日 | 身辺雑記
 東日本大震災から5年。その日をどう過ごそうかと、かなり前から考えていた。3月11日は仕事だが、12日~13日の週末は空いているので、被災地に行こうと思った。さて、どこに行くか。思案の末に、2年前に一度行ったことのある気仙沼にした。

 港周辺の土盛りはやっと始まったばかり。壊れたビルはまだそのまま。プレハブ造りの復興市場も相変わらず。2年という歳月は復興のためには短すぎるのだろう。

 12日は港からフェリーで30分の大島に渡った。穏やかな天気。海も静かだ。島に着くと椿の花が咲いていた。濃い紅色。空気がおいしい。宿は2年前と同じところをとった。2年前には、夕食後、被災者の話を聞く催しがあったが、今回はなくなっていた。

 翌日は朝食後、フェリーで戻って、リアス・アーク美術館を訪れた。前回は陸前高田の「奇跡の一本松」まで足をのばしたので、時間が足りなくて行けなかった。

 リアス・アーク美術館は高台に建っているので、津波の被害は受けなかったが、施設が被災し、1年半休館したそうだ。その後、部分開館を経て、2013年4月から全面開館して現在に至っている。

 施設は休館したが、学芸員は大震災直後から記録活動を始めた。撮影した写真は約3万点。収集した被災物(学芸員は‘ガレキ’ではなく‘被災物’と呼んでいる)は約250点。それらの資料を2013年4月の全面開館の時から「東日本大震災の記録と津波の災害史」として常設展示している。

 その展示がユニークだ。写真の一枚一枚に「撮影者のコメント」が添えられている。その写真を撮ったとき、なにを感じたか。それが語られている。また被災物には学芸員が創作した「物語」が添えられている。そのことによって、それらの被災物が、失われてしまった生活の記憶をとどめていることが理解される。またこれらの記録活動から抽出した思想を「キーワードパネル」として掲示している。自然と人間との関係を考える上で、示唆に富む思想だ。

 学芸員のそれらの短文のすべてには、研ぎ澄まされた感性が感じられる。あの時、あの場にいた人でなければ書けない文章だと思う。

 現在、同展の展示物の一部が、東京の目黒区美術館で展示されている。「気仙沼と、東日本大震災の記憶」展。リアス・アーク美術館の展示内容を体感することができる。
(2016.3.5.目黒区美術館)
(2016.3.13.リアス・アーク美術館)

リアス・アーク美術館
※※「気仙沼と、東日本大震災の記憶」展
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