Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

一柳慧の音楽

2016年05月27日 | 音楽
 コンポージアム2016の「一柳慧の音楽」を聴いた。会場を出る時、なんとも重い気分になった。そのことを書くのは気が進まないが、書かずにいると、いつのまにか忘れてしまうかもしれないので、記録しておきたい。

 1曲目は「ビトゥイーン・スペース・アンド・タイム」(2001)。室内オーケストラのための曲で、CDも出ているが、さすがに当夜は都響の演奏だったので、切れ味のいい演奏だった。一応これには満足。

 2曲目は新作の「ピアノ協奏曲第6番〈禅―ZEN〉」(2016)。ピアノ独奏は作曲者自身が努めた。80歳を超えて今も尚お元気な作曲者のピアノ演奏を聴けることは、ありがたいことではあるのだが、ピアノ演奏のメカニックな点はさておき、一音一音をじっくり聴こうという姿勢が、老境に入った心象風景を見るようで、少し辛かった。

 文章を読むかぎりでは年齢は感じないし、時たま演奏会場でお見かけする姿も若々しいのだが、でも、心象風景は意外に沈んでいて、また閉ざされているのかと、一種の敬意を払いながらも感じた。

 本作は「曲の途中の進行や、終り方も不定形を包含する自由で変換可能な構成による内容になっている」そうだ(作曲者自身のプログラムノーツによる)。そのような曲の場合、演奏者間の丁々発止のやり取りが、曲の面白さを保証するはずだが、当夜の演奏では、作曲者にたいする敬意の表れか、オーケストラ側に遠慮が感じられた。

 本作を当夜の演奏だけで判断することはできないだろうと思う。枯れた作品ではあるが、演奏者が違えばまた違った緊張が生まれるかもしれない、と思いたい。

 3曲目は「交響曲《ベルリン連詩》」(1988)。作曲者の代表作の一つだ。一柳慧も若かったんだなあと思う。格好いい曲。才気あふれる時代の寵児の相貌が刻印されている。

 第2楽章のひたひたと押し寄せる異界の生き物の蠢きのような部分が、なんといってもインパクトが強いが、でも、本当に聴くべきところは別のところだったかもしれないと、終演後、思った。なにか大事なものを聴き損ねたような気分になった。

 そう思ったのは、秋山和慶の指揮のためか、異界の蠢き(?)が、不確定性の音楽というよりも、予めプログラミングされた音楽のように聴こえたからかもしれない。また2人の独唱者が歌う言葉(とくに日本語)がよく聴き取れなかったことも、一因かもしれない。
(2016.5.25.東京オペラシティ)
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