5月5日は4つの演奏会を聴いた。まず鈴木大介のギターと岩佐和弘のフルートから。曲目はすべて武満徹の作品。1曲目と2曲目はともに武満徹の遺作となった曲でギター独奏の「森の中で」とフルート独奏の「エア」。緊張しきった会場の空気が次の「小さな空」でほぐれた。郷愁を誘う歌。その次の「翼」もそうだが、これらの歌を残してくれた武満徹は、なんて優しい心根の持ち主だったんだろうと思う。
一方、アルト・フルートとギターのための「海へ」は、壮年期の作品だけあって、音楽の密度が濃い。上記の遺作や歌と続けて聴くと、密度の濃さが際立った。
2つ目の演奏会はピエール=ロラン・エマールのピアノ独奏でメシアンの「鳥のカタログ」から第6曲「モリヒバリ」、第5曲「モリフクロウ」、第7曲「ヨーロッパヨシキリ」の3曲。
「鳥のカタログ」は全13曲からなり、演奏時間は約3時間を要するので、どの曲をやるのか興味があった。「ヨーロッパヨシキリ」が入ったことはいかにもエマールらしいと思った。全13曲がシンメトリーに構成されているこの作品の要の位置にあり、演奏時間は約30分と長大だ。手加減せずにいきなり核心をつく選曲。
演奏はすばらしいの一言。明るく澄んだ音色とシャープなリズムが、多層的なこの音楽を余すところなく描いていく。今まで聴いたどの演奏よりも肩の力が抜けた演奏。わたしはまるで――それらの鳥たちが鳴き交わす――自然の中に身を置いているような感覚になった。
各曲の前にはベルナール・フォールという人の「鳥のカタログへのプレリュード」が流された。各曲のテーマとなった鳥の鳴き声を録音・編集したもの。エマールの依頼で作成された。ひじょうに効果的だ。
3つ目の演奏会はフランスの古樂アンサンブル、レ・パラダンによるシャルパンティエのモテット「四季」。興味深い点は、春、夏、秋、冬の各曲をさらに前半と後半に分け、その間にマラン・マレのヴィオールのための曲やダングルベールのクラヴサンのための曲を挟んだこと。繊細極まるシャルパンティエの音楽の間でちょうどよい息抜きになった。
4つ目の演奏会はアフリカの打楽器集団、ドラマーズ・オブ・ブルンジの民俗音楽。リード・ドラム1個、そのリズムパターンを模倣するドラム5個、一定のリズムを繰り返すドラム3個の圧倒的な演奏は、わたしには今年のよいフィナーレになった。
(2016.5.5.東京国際フォーラム)
一方、アルト・フルートとギターのための「海へ」は、壮年期の作品だけあって、音楽の密度が濃い。上記の遺作や歌と続けて聴くと、密度の濃さが際立った。
2つ目の演奏会はピエール=ロラン・エマールのピアノ独奏でメシアンの「鳥のカタログ」から第6曲「モリヒバリ」、第5曲「モリフクロウ」、第7曲「ヨーロッパヨシキリ」の3曲。
「鳥のカタログ」は全13曲からなり、演奏時間は約3時間を要するので、どの曲をやるのか興味があった。「ヨーロッパヨシキリ」が入ったことはいかにもエマールらしいと思った。全13曲がシンメトリーに構成されているこの作品の要の位置にあり、演奏時間は約30分と長大だ。手加減せずにいきなり核心をつく選曲。
演奏はすばらしいの一言。明るく澄んだ音色とシャープなリズムが、多層的なこの音楽を余すところなく描いていく。今まで聴いたどの演奏よりも肩の力が抜けた演奏。わたしはまるで――それらの鳥たちが鳴き交わす――自然の中に身を置いているような感覚になった。
各曲の前にはベルナール・フォールという人の「鳥のカタログへのプレリュード」が流された。各曲のテーマとなった鳥の鳴き声を録音・編集したもの。エマールの依頼で作成された。ひじょうに効果的だ。
3つ目の演奏会はフランスの古樂アンサンブル、レ・パラダンによるシャルパンティエのモテット「四季」。興味深い点は、春、夏、秋、冬の各曲をさらに前半と後半に分け、その間にマラン・マレのヴィオールのための曲やダングルベールのクラヴサンのための曲を挟んだこと。繊細極まるシャルパンティエの音楽の間でちょうどよい息抜きになった。
4つ目の演奏会はアフリカの打楽器集団、ドラマーズ・オブ・ブルンジの民俗音楽。リード・ドラム1個、そのリズムパターンを模倣するドラム5個、一定のリズムを繰り返すドラム3個の圧倒的な演奏は、わたしには今年のよいフィナーレになった。
(2016.5.5.東京国際フォーラム)