Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

N.ヤルヴィ/N響

2016年05月23日 | 音楽
 ネーメ・ヤルヴィが客演したN響の定期。息子(パーヴォ)のオーケストラを振る父親の気持ちってどんなものだろうと、そんな興味を持って聴いていたが、これはもしかすると日本人的な発想かもしれない。

 1曲目はカリンニコフの交響曲第1番。自然体というか、オーケストラを、ゆったりと、たっぷりと歌わせた演奏。より実感に即した言い方をするなら、スコアをあるがままに鳴らした演奏。それはいつものネーメ・ヤルヴィなのだが、以前と比べて変化もあった。指揮の身振りが小さくなっている。ほんのわずかな動作でオーケストラを制御している。ネーメ・ヤルヴィ、晩年の様式に入ったということだろうか。それともN響のアンサンブルへの信頼の強まりだろうか。

 N響は長老格の指揮者が好きだし、N響の聴衆もそういう指揮者が好きなようなので、ネーメ・ヤルヴィがその座の一角を占める気配も漂っていた。

 カリンニコフのこの曲は、昔(あれはいつだったか、今は調べる余裕がないが)スヴェトラーノフがN響を振った演奏が忘れられない。そのとき初めてこの曲を聴いた。なんていい曲だろうと、うっとりした。

 それから何人かの指揮者で聴いたが、今回、この曲のよさは、第1楽章の第1主題と第2主題のよさに尽きるのではないかと思った。民謡風なそれらの主題の伸びやかさ。それが曲全体の叙情的な性格を決定していると思う。

 2曲目はベートーヴェンの交響曲第6番「田園」。カリンニコフとベートーヴェンのこの曲とは相性がよさそうだ。なので、このプログラムが組まれたのだろうと、浅はかにも考えていたが、演奏が始まると、そんなものではなかった。

 第1楽章の第1主題が極端に抑えた音で始まった。「田舎に着いたときの愉快な気分」というような演奏ではない。スコアを隅々まで見つめ、隠れたフレーズやリズムに目を配った演奏。総じて弱音中心だが、ホルンの動きがはっきり出ることがあった。意図的なものと思う。オーケストラ全体はコーダのところで一瞬轟然と鳴った。でも、また元に戻った。

 第2楽章以下もこういう演奏が続いた。新鮮な体験だった。ネーメ・ヤルヴィは日本フィルを振っていた頃、当時のマエストロ・サロンに出演して、ハイドンをやりたがっていたことがある。ハイドンとかベートーヴェンには(マエストロとしても)まだまだ発見があるのかもしれない。
(2016.5.21.NHKホール)
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