ラザレフが組んだ今回のプログラムは、チャイコフスキーの「組曲第1番」とショスタコーヴィチの交響曲第6番。4曲あるチャイコフスキーの組曲は、第4番の「モーツァルティアーナ」を除いて、いずれも演奏機会がまれだし、ショスタコーヴィチの交響曲第6番も、ショスタコーヴィチの交響曲の中では地味な存在。そういうプログラムにもかかわらず、客席はけっこう埋まっていた。ラザレフ/日本フィルへの評価が高まっている表れだろうか。
チャイコフスキーの「組曲第1番」は、全6曲からなる演奏時間約31分(プログラム表記による。以下同じ)の曲。第1曲の「序奏とフーガ」のフーガの部分が、激しい勢いで猛然と演奏された。ラザレフがスコアから読んでいるスケール感は、並みの指揮者の比ではないと、わたしはドキドキして聴いていた。
第3曲の「間奏曲」はバレエ音楽のような曲だ。指揮をしながら、「このメロディーを聴いてくれ」と言わんばかりに客席の方を振り返るラザレフ。すると、わたしなどはハッとして、集中力が高まる。ラザレフは、終演後のパフォーマンスを含めて、聴衆とのコミュニケーションをとるのがうまい人だと思う。
チャイコフスキーの組曲では、マゼ―ルがN響の定期を振ったときの第3番を、今でも鮮明に記憶しているが、今回の第1番も、それと同じレベルで、いつまでも記憶に残るだろうと思った。
ショスタコーヴィチの交響曲第6番は、全3楽章からなる演奏時間約51分の曲。第1楽章が沈鬱な緩徐楽章(ラルゴ)、第2楽章がスケルツォ(アレグロ)、第3楽章がショスタコーヴィチに時々見られる躁状態の馬鹿騒ぎ(プレスト)という構成。渡辺和氏執筆のプログラムノーツで紹介されたラザレフの話によると、「当時つけられたあだ名が、「頭のないシンフォニー」でした。」。
第1楽章の今にも消え入りそうなピアニッシモから、第2楽章の目にも止まらないスピード感、そして第3楽章の手がつけられない狂騒まで、この曲の真価を明らかにしようとする意欲みなぎる演奏が繰り広げられた。ラザレフのこの曲にたいする確信と、日本フィルの楽員の燃える演奏家魂が感じられた。
ラザレフ/日本フィルのショスタコーヴィチ・シリーズは、前回の第9番といい今回の第6番といい、驚くべき成果をあげている。日本フィルの歴史の中でも特筆すべき頁が続いていると思う。
(2016.5.20.サントリーホール)
チャイコフスキーの「組曲第1番」は、全6曲からなる演奏時間約31分(プログラム表記による。以下同じ)の曲。第1曲の「序奏とフーガ」のフーガの部分が、激しい勢いで猛然と演奏された。ラザレフがスコアから読んでいるスケール感は、並みの指揮者の比ではないと、わたしはドキドキして聴いていた。
第3曲の「間奏曲」はバレエ音楽のような曲だ。指揮をしながら、「このメロディーを聴いてくれ」と言わんばかりに客席の方を振り返るラザレフ。すると、わたしなどはハッとして、集中力が高まる。ラザレフは、終演後のパフォーマンスを含めて、聴衆とのコミュニケーションをとるのがうまい人だと思う。
チャイコフスキーの組曲では、マゼ―ルがN響の定期を振ったときの第3番を、今でも鮮明に記憶しているが、今回の第1番も、それと同じレベルで、いつまでも記憶に残るだろうと思った。
ショスタコーヴィチの交響曲第6番は、全3楽章からなる演奏時間約51分の曲。第1楽章が沈鬱な緩徐楽章(ラルゴ)、第2楽章がスケルツォ(アレグロ)、第3楽章がショスタコーヴィチに時々見られる躁状態の馬鹿騒ぎ(プレスト)という構成。渡辺和氏執筆のプログラムノーツで紹介されたラザレフの話によると、「当時つけられたあだ名が、「頭のないシンフォニー」でした。」。
第1楽章の今にも消え入りそうなピアニッシモから、第2楽章の目にも止まらないスピード感、そして第3楽章の手がつけられない狂騒まで、この曲の真価を明らかにしようとする意欲みなぎる演奏が繰り広げられた。ラザレフのこの曲にたいする確信と、日本フィルの楽員の燃える演奏家魂が感じられた。
ラザレフ/日本フィルのショスタコーヴィチ・シリーズは、前回の第9番といい今回の第6番といい、驚くべき成果をあげている。日本フィルの歴史の中でも特筆すべき頁が続いていると思う。
(2016.5.20.サントリーホール)