Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

広上淳一/日本フィル

2018年07月07日 | 音楽
 尾高惇忠(1944‐)は広上淳一の師でもあるそうだ。広上淳一が高校生の頃、音楽をやりたくて、尾高惇忠に作曲とピアノを師事した。「作曲はまったく才能がなかった」とは本人の弁。尾高が「ピアノはユニークだったよ」といえば、広上は「でも、二度は聴きたくなかったでしょう」とまぜっかえす。以上はプレトークでのやり取り。

 その尾高の「交響曲《時の彼方へ》」を真ん中に据えて、前後をバッハの名曲で挟んだプログラム。2016年3月にも広上は尾高の「ピアノ協奏曲」(日本フィル・シリーズ第41作としての委嘱作品)を真ん中に据えて、前後を「未完成」と「運命」で挟んだプログラムを組んだ。

 今回の「交響曲《時の彼方へ》」は仙台フィルの委嘱作品。2011年9月に実弟の尾高忠明の指揮で初演された。時期が時期だけに、東日本大震災の追悼の曲かと思われがちだが、本人執筆のプログラム・ノートによれば、「2月にはスケッチも終わっており、あの3月11日はオーケストレーションを進めていた時期」とのこと。

 だが、どうしても、東日本大震災と関連付けて聴いてしまうのも事実。そんな運命を担わされた曲かもしれない。もちろん聴き手の側の勝手な思い入れだが。

 3楽章構成の堂々たる交響曲。起伏に富み、しかも自然な流れがある。仕上げのよさは尾高惇忠ならではのもの。じつはわたしはこの曲を2012年6月にジェームズ・マクミラン指揮のN響で聴いているのだが、そのときの印象は薄い。今回の演奏のほうがこの曲を的確に捉えていたのではないか。

 1曲目はバッハの「管弦楽組曲第3番」。なんと、16型の大編成での演奏。プレトークで広上が「フルトヴェングラーもメンゲルベルクもカラヤンもこうやっていた」といっていた。だが、おもしろいもので、演奏はやはり時代を反映するもののようだ。とくにリズム感でそれを感じた。

 以上がプログラム前半で、ここまでは皇后陛下が鑑賞された。皇后陛下のご入場とご退場の際には大きな拍手が起った。わたしも立ち上がって拍手を送った。

 プログラム後半はバッハの「マニフィカト」。合唱は東京音楽大学。オーケストラと合唱はよかったのだが、問題は独唱にあった。ベテランの吉田浩之を除いて、あとの人たちは力不足。とくに2人のソプラノはコチコチになり(1人は声がきれいだったが)、学内コンサートのような雰囲気だった。
(2018.7.6.サントリーホール)
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