Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

アラン・ギルバート/都響

2018年07月18日 | 音楽
 アラン・ギルバートと都響とは2011年7月の初共演以来、2016年1月、同年7月、2017年4月と共演を重ねてきたと、プログラムに書いてあったので、念のために日記を見たら、わたしはそれらすべてを聴いていた。そしてこの度の首席客演指揮者への就任。大歓迎だ。

 就任披露演奏会の1曲目はシューベルトの交響曲第2番。わたしの偏愛する曲だが、好事魔多しというべきか、大柄でダイナミックな演奏が、わたしのイメージには合わず、最後までチグハグな印象を拭えなかった。音の瑞々しさとチャーミングな表情に欠けるというのが、わたしの感想だが、それはわたしの尺度に照らした感想にすぎないことは承知していて、そこから脱け出せないもどかしさを感じた。

 一方、2曲目のマーラーの交響曲第1番「巨人」は、かつての第5番の演奏を彷彿させるような、ダイナミックレンジが人一倍広く、緩急の落差が極端に大きい、日常のレベルをはるかに超える演奏になった。

 もう一つ、この演奏では使用楽譜の「クービク新校訂全集版/2014年」というのが興味を惹いた。端的にいって、「花の章」を含む全5楽章版だが、細部はともかく、全体的には決定稿にかなり近づきつつ、しかし決定稿とは異なる点が無数にある版のようだ。その驚きたるや並大抵ではなかった。

 そのような版で聴いても、「花の章」はやはりすわりが悪いことが、かえっておもしろかった。簡素な三部形式で書かれ、発展性に乏しい楽想だからだろうか。でも、マーラーはこの楽章にこだわった。最終的に削除されたとき、この交響曲は別の曲に生まれ変わった。そのときマーラーは脱皮した。その過程が目に浮かぶ。

 終演後は大喝采。そしてそこからがおもしろかった。都響はいつもは(拍手の間中)楽員全員が指揮者のほうを向いたままだが、今回はギルバートが聴衆のほうへ向かせた。これにはびっくり。聴衆は沸きに沸いた。しかも正面だけではなく、後方にも、左右両サイドにも向かせた。

 最後はギルバートのソロ・カーテンコールになったが、そのときギルバートはコンサートマスターの矢部達哉を伴って現れた。聴衆からはどよめきの声。そしてギルバートはお開きを告げるため、最初は(他の指揮者もやるように)「お休み」のジェスチャーをしたが、すぐに思い直したように、ビールを飲むジェスチャーに変えた。大笑いが起きた。新時代の到来か。
(2018.7.16.サントリーホール)
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