Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

ノット/東響「ゲロンティアスの夢」

2018年07月16日 | 音楽
 エルガーのオラトリオ「ゲロンティアスの夢」は、大友直人指揮の東響が演奏したときに(2005年だったらしい)、聴きたいと思いながら、聴けなかったことが、心のどこかに引っかかっていた。いつか聴いてみたいと思っていたら、同じく東響の演奏で聴く機会が訪れた。指揮がジョナサン・ノットとは申し分ない。

 プログラムに掲載されたインタビューで、ノットはこの作品を「ワーグナーの作品、特に『パルジファル』に近い精神や半音階を巧妙に使った音楽、さらにはR.シュトラウスの『4つの最後の歌』に比肩するような歌詞と音楽の見事な融合」と語っている(インタビュアーはオヤマダアツシ氏)。

 そのことは(「パルジファル」の幕開きの場面を彷彿とさせる)前奏曲から始まって、全編を通じて感じられた。そして(その上で)付け加えるなら、第2部に登場する天使の歌が、部分的に深い詠嘆のトーンに染まるときがあり、それは「パルジファル」よりも、プフィッツナーの「パレストリーナ」を想い出させた。

 作曲順は「ゲロンティアスの夢」のほうが先なので、「パルジファル」から「ゲロンティアスの夢」へ、そして「パレストリーナ」へと(おそらく無意識に)受け継がれた音楽的な要素があったのではないか。そしてその断片がヒンデミットの「画家マティス」に残り、そこで終わりを告げる、という図式が目に浮かんだ。

 それはわたしの勝手な想像に過ぎないけれど、それはともかく、19世紀の後半から20世紀の前半にかけて続いた憂愁の気分が、それらの作品に刻印されていることは、考えてみる価値があるかもしれない。

 天使を歌ったのはサーシャ・クックだが、その深い感情を湛えた歌い方が、わたしの想像を刺激したことは確かだ。わたしは事前に本作のCDを聴いていたが、そのときには感じなかったことを、クックの歌唱で感じた。

 独唱陣は、ゲロンティアスを歌ったマクシミリアン・シュミットも、司祭と苦悩の天使を歌ったクリストファー・モルトマンも、ともに素晴らしかった。クックを含めて、高水準の独唱陣と、アマチュアとは思えない(プロのように厳しい)東響コーラスの合唱と、ノット指揮東響の、ニュアンス豊かな、しっとりしたアンサンブルとが相俟って、見事なまでに高度な演奏を達成した。

 最後の浄化された音楽が虚空に消えていったとき、わたしは深い充足感に包まれた。
(2018.7.15.ミューザ川崎)
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