8月12日に行方不明になった藤本理稀(よしき)ちゃん(2歳)が15日に無事に発見されたニュースに安堵して、わたしも多くの方々と同じように、あれこれ思った。
まず理稀ちゃんを発見した尾畠春夫さん(78歳)が、「子どもだから上に行くと思った」と語っていることに瞠目した。大人が山中で迷ったら、大概の人は下に行く。わたし自身、山で遭難した経験があるので、よくわかるが、道に迷ったら上に行くのが鉄則だとわかっていても、下に行こうとする。だが、子どもは違うのだろうか。それとも遊びだったからだろうか。
また場所が周防大島だったことに、一種の感慨があった。当地は、わたしが今読んでいる民俗学者の宮本常一の「忘れられた日本人」の中の「子供をさがす」の場所だからだ。昭和20年代だと思うが、やはり周防大島の集落で、子どもが行方不明になった。そのとき村人たちは、だれが采配を振るうわけでもなく、みんなで手分けして地域の隅々まで合理的に探したという。
興味深いのは、その集落にはよそから来て住みついた人々もいたが、そういう人々は、子どもの捜索には加わらず、道にたむろして「子どもの家の批評をしたり、海へでもはまって、もう死んでしまっただろうなどと言っている。」ことだ。
共同体として機能している人々とそうでない人々と、その明暗がくっきり分かれることに、今の社会にも通じる、なんというか、普遍性がないだろうか。人間とは昔も今もなにも変わらず、むしろ今はネット社会なので、あらゆる面が露わになっているという気がする。
もう一つの感想は、わたし自身の想い出だ。わたしも子どもの頃に迷子になったことがある。わたしの家には風呂がなかったので、近くの銭湯に行っていたが、その日は修理かなにかで休業中だったので、遠くの銭湯に行った。一人で行ったから、たぶん小学生のときだったと思う。ともかく銭湯に入って、外に出たら、道に迷った。
わたしは自信をもって歩いていたのだが、あたりの家並みに見覚えがなかった。夜だったので、不安になってきた。とうとう広い車道に出た。それがどこだかわからなかった。通りすがりの人に聞くと、家とは反対方向に来ていたようだ。その人は「一人で帰れるか」と聞いてくれたが、「帰れる」と答えた。家に帰る道のりの遠かったこと。やっと着いたら、両親が心配していた。「なにをしていたんだ!」と怒られたかもしれない。でも、道に迷ったとはいわなかった。
まず理稀ちゃんを発見した尾畠春夫さん(78歳)が、「子どもだから上に行くと思った」と語っていることに瞠目した。大人が山中で迷ったら、大概の人は下に行く。わたし自身、山で遭難した経験があるので、よくわかるが、道に迷ったら上に行くのが鉄則だとわかっていても、下に行こうとする。だが、子どもは違うのだろうか。それとも遊びだったからだろうか。
また場所が周防大島だったことに、一種の感慨があった。当地は、わたしが今読んでいる民俗学者の宮本常一の「忘れられた日本人」の中の「子供をさがす」の場所だからだ。昭和20年代だと思うが、やはり周防大島の集落で、子どもが行方不明になった。そのとき村人たちは、だれが采配を振るうわけでもなく、みんなで手分けして地域の隅々まで合理的に探したという。
興味深いのは、その集落にはよそから来て住みついた人々もいたが、そういう人々は、子どもの捜索には加わらず、道にたむろして「子どもの家の批評をしたり、海へでもはまって、もう死んでしまっただろうなどと言っている。」ことだ。
共同体として機能している人々とそうでない人々と、その明暗がくっきり分かれることに、今の社会にも通じる、なんというか、普遍性がないだろうか。人間とは昔も今もなにも変わらず、むしろ今はネット社会なので、あらゆる面が露わになっているという気がする。
もう一つの感想は、わたし自身の想い出だ。わたしも子どもの頃に迷子になったことがある。わたしの家には風呂がなかったので、近くの銭湯に行っていたが、その日は修理かなにかで休業中だったので、遠くの銭湯に行った。一人で行ったから、たぶん小学生のときだったと思う。ともかく銭湯に入って、外に出たら、道に迷った。
わたしは自信をもって歩いていたのだが、あたりの家並みに見覚えがなかった。夜だったので、不安になってきた。とうとう広い車道に出た。それがどこだかわからなかった。通りすがりの人に聞くと、家とは反対方向に来ていたようだ。その人は「一人で帰れるか」と聞いてくれたが、「帰れる」と答えた。家に帰る道のりの遠かったこと。やっと着いたら、両親が心配していた。「なにをしていたんだ!」と怒られたかもしれない。でも、道に迷ったとはいわなかった。