Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

「いわさきちひろ、絵描きです。」展

2018年08月15日 | 美術
 いわさきちひろ(1918‐1974)の絵は身近にあるので、あまり意識しなくなっている。そのためだろうか、今回の生誕100年回顧展は、逆に惹かれるものがあった。これを機会にその全貌を見てみたい、と。

 わたしは、ちひろの生涯も、松本善明との結婚以外、ほとんど知らなかった。今回の展示で、戦時中に満州に渡ったことや、東京に戻って空襲に遭ったこと、長野県に疎開したこと、戦後に日本共産党に入党したのは戦時中の戦争協力への贖罪でもあったこと等々を知った。

 作品に関しては、1950年代前半の油彩画4点が興味深かった。チラシ(↑)に使われている「ハマヒルガオと少女」もその一つ。可愛らしいだけでなく、画面構成が確かで、しかも後の水彩画を予感させる抒情がある。

 油彩画について付言すると、ちひろはマリー・ローランサンが好きで、その影響を受けているといわれるが、その一方で、ちひろの個性もまた明らかだ。まず褐色が基調であること。褐色はローランサンの色ではない。また顔が丸顔であること。ローランサンの作品は細長い顔が多い。さらに、ローランサンが描く女性は物憂げな表情をしているが、ちひろが描く子どもは意志的な表情をしている。

 その後、ちひろは水彩画に移行する。お馴染みの絵本の世界。その世界の、なんと繊細で、やさしく、抒情的なことか。多くの原画とその習作に囲まれて、わたしはやさしさを取り戻した。そこにいつまでも浸っていたい気持ちになった。

 たとえば「引越しのトラックを見つめる少女」の習作2点と完成した原画を見ると、鉛筆と墨で描かれた習作には、落書きでいっぱいの壁の左側から少女が引越しトラックを見つめ、その反対の右側から(引越してきた)少年が覗いている。パステルで描かれた習作では、少年が消える一方、少女の足元に子犬(少女の飼い犬)がいる。そしてパステルで描かれた原画では、少年も子犬も消え、壁の落書きが強調される。

 同様の習作と原画は他の作品でも展示され、ちひろの創造過程を追体験するような感覚になる。その過程は、ちひろには生みの苦しみだったかもしれないが、気楽な鑑賞者のわたしには、やさしさに満ちた時間になった。

 今年4月に亡くなった高畑勲のインスタレーションも興味深かった。高細密に拡大したちひろの作品2点。小さな原画では気付かなかった点に気付くことができた。
(2018.8.9.東京ステーションギャラリー)
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