Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

ラッヘンマンを聴くvol.2

2016年06月15日 | 音楽
 現代ドイツの作曲家ヘルムート・ラッヘンマン(1935‐)の作品を集めた演奏会「ラッヘンマンを聴くvol.2」。vol.1はいつあったのか、うっかりして気が付かなかった。

 今回演奏された曲は3曲。どれも演奏者が素晴らしい。以下、演奏順に記すと、1曲目はピアノ独奏のための「セリナーデ」。演奏はラッヘンマン夫人の菅原幸子。福井とも子氏のプログラムノーツによると、「残響のコントロール」の技術が「徹底的に実践、拡張されている」作品。その一環なのだろうか、鍵盤を叩かずに、ペダルを強く踏むだけでピアノ線を震わせる(微かな音が出る)部分があった。

 でも、長大なこの作品を(30分位かかる)、集中力を途切れさせずに聴くことは、わたしには難しかった。その理由は、2曲目、3曲目を聴くうちに、だんだん分かってきた。

 2曲目は2本のギターのための「コードウェルへの礼砲」。演奏は山田岳と土橋庸人。おのおの正面を向いた2人のギター奏者が丁々発止の演奏を繰り広げる。沈黙の空隙に激しく打ち込まれる2人の音が、どうしてピッタリ合うのか、驚くばかりだ。

 本作ではイギリスの小説家・記者のクリストファー・コードウェル(1907‐1937)の詩が、2人のギター奏者によって朗誦される。「君たちの自由と呼ぶものは、ただ社会の一部であって、完全な自由ではない。」という書き出し。ラジカルな思想だ。

 3曲目はソプラノとピアノのための「Got Lost」。ソプラノはシュトゥツトガルト歌劇場のソリスト角田祐子。わたしは同地で「ペレアスとメリザンド」のイニョルドや「イェヌーファ」のヤーノを観たことがある。元気一杯の大活躍だった。今回東京で聴くことができて嬉しい。ピアノは菅原幸子。

 これは楽しかった。音楽(または演奏、あるいは楽器)の根底を問うといった作曲姿勢のラッヘンマンからは想像もできないエンターテインメント性を感じた。ラッヘンマンの意外な一面を見た思いがする。振り返ってみると、そのエンターテインメント性は「コードウェルへの礼砲」でも感じられた。でも、「セリナーデ」にはなかった‥。

 演奏も水際立っていた。超難曲にちがいないが、それを見事に歌い、しかも聴衆を楽しませた角田祐子に、心からの賞賛を捧げたい。ピアノの菅原幸子も歌にピッタリつけて完全に一つの音響体を構成していた。
(2016.6.14.東京オペラシティ・リサイタルホール)

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