Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

三善晃の「反戦三部作」

2020年05月31日 | 音楽
 中止になった注目公演の一つに、山田和樹が都響を振る三善晃(1933‐2013)の「反戦三部作」の演奏会があった。反戦三部作とは、「レクイエム」(1972)、「詩篇」(1979)、「響紋」(1984)の3作。「レクイエム」と「詩篇」ではオーケストラに混声合唱が加わり、「響紋」では児童合唱(三善晃は「童声」といっている)が加わる。3作とも太平洋戦争で亡くなり、または苦しんだ人々に捧げる曲。戦地で斃れた兵隊たち、夫や息子をなくした女たち、空襲で逃げまどった銃後の人々に想いを馳せる。

 演奏会は中止になったので、CDで聴いてみた。「レクイエム」と「詩篇」はナクソス・ミュージックライブラリーに収録され、「響紋」はYouTubeに音源があった。いずれも初演時の録音。ほんとうは演奏者の名前を書きたいのだが、煩瑣になるので止める。いずれも錚々たるメンバーだ。

 「レクイエム」と「詩篇」は熱気がこもった壮絶な演奏だ。一方、「響紋」は透明な美しさが漂う。その違いは作品の性格の違いとともに、(その違いと密接にかかわるが)敗戦からの年月の隔たりを感じさせる。

 私事だが、わたしは幸運にも「響紋」の初演を聴くことができた。その演奏風景はいまでも瞼に焼き付いている。震えるほどの感銘を受けた。そのときの記憶が蘇る。

 今回の演奏会に際して行われた山田和樹へのインタビュー記事が都響のHPに載っている。三善晃の想い出や、三善晃の作品と武満徹の作品との相違などが語られ、ひじょうに興味深い内容だが、その中に(少なくともわたしには)引っかかる箇所があった。長くなるが、引用したい。

 「≪レクイエム≫の圧倒的な音響に包まれて、人々は何かを感じざるを得ない。歌詞はまるで聞きとれません。聞きとれるようにする方法がないわけではありませんが、聞こえなくていいんです。聞きとることを想定していない。それを超えて、考える前に感じることが大事。今は平和な時代だから、音が合っているかとか、聞きとれるかとか、そういうことに我々はとらわれやすい。でも、わからなくても伝わるもの、ガーンとくるもの。そこに音楽の意味があると思います。」

 都響から送られてきたプログラムの丘山万里子氏のプログラムノートにも、同様の記述がある。だが、今回わたしは3作の音源を聴いて、「レクイエム」と「詩篇」に関しては、言葉がほとんど聞きとれないことにストレスを感じた。それはわたしの未熟さゆえのことだったのか。それとも、実演で聴けば、ストレスにならないのか。それを確かめたい気がする。新型コロナが収まったら、演奏会実現に再挑戦する日が来ますように。

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