Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

ルイージ/N響

2023年09月11日 | 音楽
 N響の近年の音楽監督・首席指揮者の推移を見ると、デュトワ→アシュケナージ→ヤルヴィ→ルイージと、プログラムも演奏スタイルも革新→保守のパターンが繰り返されているように見える。ルイージが指揮する9月の定期演奏会Aプロはオール・リヒャルト・シュトラウス・プロで、その意味では保守だが、選曲が巧みで演奏も高度だった。

 1曲目は交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」。冒頭の第一ヴァイオリンがピッチのピタッと合った音で、まるで一本の糸のように聴こえた。その後も鮮やかな演奏が続いた。ただ指揮者が細部まで掌握した演奏だったからか、緊張感がほぐれる瞬間がなかった。この曲の笑い話的な表現は難しいのかもしれない。

 2曲目は「ブルレスケ」。ピアノ独奏は1982年生まれのドイツのピアニスト、マルティン・ヘルムヒェン。準独奏楽器ともいえるティンパニをはじめ、オーケストラとの対話がよくかみ合い、また抒情的な部分も美しかった――というよりも、わたしは初めてこの曲の抒情的な美しさに気が付いた。心にしみるような美しさだった。

 ティンパニは植松透さんが担当した。音楽的な、語るような演奏だ。わたしは高校時代までブラスバンドで打楽器をやっていたので、ティンパニが気になるのだが、一時代前は読響の菅原淳さん、今は植松さんが好きだ。二人はかならずしも同じタイプではないが、それぞれ突出した音楽性の持ち主だと思う。

 ヘルムヒェンのアンコールがあった。すばらしく抒情的な曲。音の動きに斬新さがある。こんな曲を聴いたら、もう何もいらないと思った。どこかで聴いたことがある。帰宅後調べてみたら、シューマンの「森の情景」から第7曲「予言の鳥」だった。こんなに不思議な感覚の曲だったか。

 以上がプログラム前半だ。2曲を聴いて気が付いたのだが、後半の交響的幻想曲「イタリアから」をふくめて、プログラム全体のテーマはユーモアだろう。「ティル」のホルン、「ブルレスケ」のティンパニ、「イタリアから」のフニクリ・フニクラ。どれもリヒャルト・シュトラウス流のユーモアだ。ベートーヴェンの哄笑とも違い、またワーグナーの毒をふくんだ笑いとも違う、意外にさわやかなユーモアだ。

 3曲目は「イタリアから」。全体を通して透明でバランスが良く、フニクリ・フニクラも大騒ぎにならない名演だ。とくに第3楽章の抒情が胸にしみた。こんなに美しい音楽だったのかと発見する思いだった。当日のテーマはユーモアだろうが、その一方でシュトラウスの賑やかな曲にひそむ抒情性に気付かせてくれた演奏会でもあった。
(2023.9.10.NHKホール)

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