Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

飯守泰次郎さん追悼

2023年08月17日 | 音楽
 飯守泰次郎さんが8月15日に亡くなった。前日には普通に夕食をとり、いつもの時間に就寝したそうだ。翌朝7時16分に急性心不全で亡くなった。良い亡くなり方だ。享年82歳。ご冥福を祈る。

 わたしは中学生時代にクラシック音楽を聴き始めたので、かれこれ50年以上クラシック音楽を聴いているが、その中でほんとうに好きになった指揮者が二人いる。それは晩年の山田一雄と晩年の飯守泰次郎だ。晩年という言い方はあいまいなので、具体的にいうと、新星日本交響楽団(その後、東京フィルと合併)の常任指揮者時代の山田一雄と、東京シティ・フィルの常任指揮者時代の飯守泰次郎だ。

 二人ともそれが最後のポストだったわけではないが、長いキャリアの中で終盤だったことは間違いなく、そのころになると、若いころのがむしゃらさを脱し、しかも体力・気力ともに衰えずに、ほんとうに神々しいまでの演奏をした。

 飯守泰次郎でいえば、東京シティ・フィルとのプログラムでは、毎シーズン、テーマ作曲家を設定し、その作曲家の作品を集中的に演奏した。そのようにして聴いた中で、とくに感銘深かったのは、ブルックナー、ベートーヴェン(マルケヴィチ版)、そして意外に思われるかもしれないがチャイコフスキーだった。

 飯守さんのブルックナーはだれもが称賛するので、多言を要しないだろうが、一言だけ想い出を書けば、飯守さんはプレトークで「地味だけれども、第6番が好きだ」と話したことがある。「もちろん第7番以降は崇高な音楽だけれども、だれもが褒める曲とは別に、個人的には好きという曲があり、それが第6番です」と。ベートーヴェンは、ベーレンライター版でもやったが、マルケヴィチ版のときになると、余計なものを削ぎ落して、本質のみを語るような輝きがあった。チャイコフスキーは常任指揮者時代の最後のチクルスになった。ドイツ音楽のイメージが強い飯守さんがチャイコフスキーを選び、共感をこめて演奏したことに、日本人の西洋音楽への適性を考えた。

 ワーグナーは東京シティ・フィルでも新国立劇場でも聴いたが、数ある作品の中でも飯守さんに一番合っていたのは「パルジファル」だと思う。わたしは2005年11月の東京シティ・フィルとの演奏、2012年5月の東京二期会での演奏(オーケストラは読響)、2014年10月の新国立劇場での演奏(オーケストラは東京フィル)を聴いた。どれも良かった。どんどん良くなるというのではなく、最初から良かった。飯守さんの体質に合うのだろう。

 ネット上では飯守さんの逝去を悼む声があふれている。楽員からも聴衆からも愛されていたといまさらながら思う。

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2 コメント

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Unknown (猫またぎなリスナー)
2023-08-23 19:43:57
この人のパルジファルは一度ならず聴く機会もあったのに、結局行かず終いになってしまい本当に残念なことをしてしまいました。2012年3月に新国立劇場研修生オペラでツェムリンスキー「フィレンツェの悲劇」とラヴェル「スペインの時」のダブルビルを聴けたのがせめてもの救いです。前者のゴブラン織のような豪奢な音楽、後者のむせ返るように官能的なハバネラのリズムは今も鮮明に覚えています。
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Unknown (Eno)
2023-08-24 09:27:31
猫またぎなリスナー様
ご無沙汰しています。
私はあの公演には行かなかったのですが、ツェムリンスキーもラヴェルも良かったとのこと、想像できます。
だいぶ前にミヒャエル・ギーレンのラヴェルを聴いたことがあるのですが(オーケストラはベルリン・コンツェルト菅でした。当時は名前が違っていましたが)、それも良かったです。ラヴェルのむせかえるような官能性が出ていて驚きました。
飯守さんとかギーレンとか、日本ではドイツ音楽の権化のように思われていますが、そんな狭い範囲に収まる音楽家ではなさそうですね。
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