Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

ラ・フォル・ジュルネ:貴志康一 交響曲「仏陀」

2018年05月06日 | 音楽
 今年のラ・フォル・ジュルネで聴いてみようと思ったもう一つの演奏会は、貴志康一の交響曲「仏陀」。演奏は本名徹次指揮の東京シティ・フィル。貴志康一という名前は聞いたことがあるが、その作品を聴いた記憶はなく、またその生涯も知らなかったので、願ってもない機会だった。

 演奏時間45分ほどの大曲。4楽章構成で仏陀の生涯を描く。第1楽章はモルト・ソステヌートの序奏付きアレグロ楽章、第2楽章はアンダンテの緩徐楽章、第3楽章はヴィヴァーチェのスケルツォ楽章と、ここまでは定石通りだが、第4楽章はアダージョ楽章になる。

 第1楽章の主部は、語弊のある言い方かもしれないが、映画音楽的な波乱万丈の音楽。第3楽章は某有名曲を下敷きにしていることが明らかな音楽。第4楽章にはもっと音楽的な密度の濃さが欲しい、というのが正直な感想。

 だが、誤解されるといけないのだが、わたしは大層楽しんだ。全曲を通して飽きることがなかった。その時の(この曲を書いた時の、というような意味だが)貴志康一が、やりたいことをやってのけた、そういう実感をつかめた。

 東京シティ・フィルの演奏もよかった。清新な情感に満ちた献身的な演奏だった。各パートに首席奏者を揃え、万全の態勢だった。本名徹次の指揮も真摯そのもの。

 貴志康一は1909年生まれ。主にベルリンで学び、1934年には自らベルリン・フィル(!)を振って本作を初演した。帰国直後の1937年に病没。享年28歳という若さだった。その生涯は大澤壽人(1906‐1953)と時期的に重なる。大澤壽人は主にボストンで学び、1933年にはボストン・ポップス(ボストン交響楽団)で自作を振った。貴志康一は大阪府吹田市生まれ、大澤壽人は兵庫県神戸市生まれで、ともに関西文化圏の出身。

 二人は会ったことがあるのだろうかと、ふと考えた。貴志康一の帰国は1935年、大澤壽人の帰国は1936年。貴志康一は1937年に亡くなったので、会った可能性が皆無とはいえないが、その可能性はピンポイントだろうが。

 もっとも、たとえ会ったにしても、日本的な情緒を中心に据えた貴志康一と、モダニズムを志向する大澤壽人とでは、水と油だったかもしれない。でも、貴志康一がもう少し長生きして、戦後は不遇だったといわれる大澤壽人と(戦後に)会ったら、お互いに語り合うこともあったかもしれない。
(2018.5.5.東京国際フォーラム ホールC)

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