インキネンと日本フィルが、コロナ禍で中断していたベートーヴェンの交響曲チクルスを再開した。昨日の横浜定期では第2番と第4番が演奏された。今後、10月の東京定期で第7番と第8番が演奏され、来年5月の横浜定期と名曲コンサートで「第九」が演奏されてチクルスが完結する。
今回の2曲はともに安定した演奏だったが、第4番のほうが、ピッチがよく合ったスリムな音で、アンサンブルのきめも細かかった。加えて集中力が並みではなく、存在感のある演奏だった。名演という一般的な表現よりも、インキネンの特質がよく表れた演奏といったほうがいいかもしれない。以前聴いたメンデルスゾーンの交響曲第4番「イタリア」を彷彿させる演奏だが、今回はさらに逞しさがあった。
演奏会の冒頭にシベリウスの交響詩「エン・サガ」が演奏された。ベートーヴェン・チクルスが中断する前には、ドヴォルジャークの交響詩が組み合わされていた。それをシベリウスの交響詩に代えた。来年5月の「第九」のときには「タピオラ」が演奏される。さらに来年4月の東京定期では「クレルヴォ交響曲」が演奏される。
日本フィルはインキネンとの首席指揮者契約を2年延長してベートーヴェン・チクルスを完結しようとしているが、ベートーヴェンと併せて、最後にもう一度シベリウスに取り組もうとしているように見える。
話が迂回してしまったが、今回の「エン・サガ」の演奏は、いかにもシベリウスらしいといったらよいか、シベリウスの本質に触れるようなところがあった。特別なことをしているわけではないが、一見クールな音の感触の中に、暗い情念が静かに燃え上がるような、内燃的な音楽が立ち現れた。それは稀有な経験だ。
加えて、このような聴き方は邪道かもしれないが、エン・サガ(伝説)という題名から想像されるこの曲の表現するものが、北欧の(とくに現在の状況下のフィンランドの)強国からの圧迫とそれへの戦い、そして敗北という物語を想像させ、辛い思いがした。今回かぎりの経験だろうが。
「エン・サガ」は2008年4月のインキネンの日本フィル初登場(横浜定期だった。場所は横浜みなとみらいホール)のときに演奏された曲だ(メインの曲目はチャイコフスキーの交響曲第4番だった)。そのときの感動はいまでも覚えている。日本フィル初登場にもかかわらず、日本フィルとよくかみ合った演奏に感心した。それから14年。両者は実り多い関係を築いた。今後、来年にかけて、有終の美を飾る演奏を期待する。
(2022.4.23.ミューザ川崎)
今回の2曲はともに安定した演奏だったが、第4番のほうが、ピッチがよく合ったスリムな音で、アンサンブルのきめも細かかった。加えて集中力が並みではなく、存在感のある演奏だった。名演という一般的な表現よりも、インキネンの特質がよく表れた演奏といったほうがいいかもしれない。以前聴いたメンデルスゾーンの交響曲第4番「イタリア」を彷彿させる演奏だが、今回はさらに逞しさがあった。
演奏会の冒頭にシベリウスの交響詩「エン・サガ」が演奏された。ベートーヴェン・チクルスが中断する前には、ドヴォルジャークの交響詩が組み合わされていた。それをシベリウスの交響詩に代えた。来年5月の「第九」のときには「タピオラ」が演奏される。さらに来年4月の東京定期では「クレルヴォ交響曲」が演奏される。
日本フィルはインキネンとの首席指揮者契約を2年延長してベートーヴェン・チクルスを完結しようとしているが、ベートーヴェンと併せて、最後にもう一度シベリウスに取り組もうとしているように見える。
話が迂回してしまったが、今回の「エン・サガ」の演奏は、いかにもシベリウスらしいといったらよいか、シベリウスの本質に触れるようなところがあった。特別なことをしているわけではないが、一見クールな音の感触の中に、暗い情念が静かに燃え上がるような、内燃的な音楽が立ち現れた。それは稀有な経験だ。
加えて、このような聴き方は邪道かもしれないが、エン・サガ(伝説)という題名から想像されるこの曲の表現するものが、北欧の(とくに現在の状況下のフィンランドの)強国からの圧迫とそれへの戦い、そして敗北という物語を想像させ、辛い思いがした。今回かぎりの経験だろうが。
「エン・サガ」は2008年4月のインキネンの日本フィル初登場(横浜定期だった。場所は横浜みなとみらいホール)のときに演奏された曲だ(メインの曲目はチャイコフスキーの交響曲第4番だった)。そのときの感動はいまでも覚えている。日本フィル初登場にもかかわらず、日本フィルとよくかみ合った演奏に感心した。それから14年。両者は実り多い関係を築いた。今後、来年にかけて、有終の美を飾る演奏を期待する。
(2022.4.23.ミューザ川崎)