Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

加藤陽子「それでも、日本人は「戦争」を選んだ」

2021年01月08日 | 読書
 多くの学者がいうように、日本学術会議への人事介入問題は、戦前の滝川事件を想起させる問題だと思う。滝川事件がその後の天皇機関説事件そして国体明徴運動へとつながったことを考えると、事の本質は重大だ(その間の歴史をリアルに感じるためには、山崎雅弘の「「天皇機関説」事件」(集英社新書)をお薦めします)。

 さて、任命拒否された6人のうちの一人、東京大学教授の加藤陽子の「それでも、日本人は「戦争」を選んだ」(新潮文庫)が、今回の議論のなかで、何人かによって触れられているので(たとえば「私もあの本のファンなんですよ」という具合に)、わたしも読んでみた。

 本書は加藤陽子が2007年の年末から翌年の正月にかけて、中高一貫教育の栄光学園の生徒たち(中学一年生から高校二年生までの約20人)を相手におこなった5日間の講義をもとにしている。もちろん編集の段階で加筆はされているだろうが、講義のときの口調や、生徒たちとのやり取りがよく残されている。

 なので、本書は一方通行の叙述ではない。生徒たちが飽きてきた(と思われる)ころに、加藤陽子から適宜質問が投げられる。たとえば日清戦争の項では、加藤陽子はこう問いかける。「それでは、(引用者注:日清戦争後に)国内の政治においてはなにが最も変わったでしょうか。論述ですと、だいたい10文字ぐらいになるのですが」。それにたいして生徒が答える。「賠償金を得て財政が好転する」。それも正解だ。ほかには? 「「アジアの盟主としての日本」という意識が国民に生まれた」。それも正解。だが、加藤陽子が想定していた答えとは違う。ほかには? するとある生徒が答える。その答えに加藤陽子は「そうそう、鋭い。そうなんです。」と応じる。その答えはわたしには思いもつかないものだった。

 このような双方向のやり取りから、通り一遍の歴史ではなく、その時代の人々の思惑が浮かび上がってくる。戦争に突き進んだ日本を一方的に責めるのではなく、もし自分が生きていたらどうしたか、と考えさせる。

 講義は、日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、満州事変と日中戦争、太平洋戦争の五項目。つまり日本の近現代史だ。いうまでもないが、この五項目はつながっている。その一連の流れの結果として、いまの日本がある。いまの日本のルーツだ。

 この講義の特徴は、各戦争が起きたときの軍事的・外交的な状況と、その戦争が終わったときの国内的・国外的な影響に重点が置かれていることにある。その一方で、各戦争の経過(いつ、どこで、どんな戦闘があって‥など)にはあまり触れていない。そのことが本書をユニークな近現代史にしている。最近流行りの言葉でいえば、総合的俯瞰的な名著だと思う。
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