Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

樋田毅「最後の社主 朝日新聞が秘封した「御影の令嬢」へのレクイエム」

2022年02月17日 | 読書
 樋田毅(ひだ・つよし)氏の「彼は早稲田で死んだ」(2021年、文藝春秋社)を読み、ブログを書いた。同書は1972年に早稲田大学で起きた革マル派による(当時第一文学部2年生だった)川口大三郎君のリンチ殺人事件をめぐる回想録だ。わたしもその渦中にいたので、自分史の一端を読む思いがした。著者に興味をもったので、次に「記者襲撃 赤報隊事件30年目の真実」(2018年、岩波書店)を読み、その感想もブログに書いた。

 樋田氏の著作にはそれら2冊のあいだに「最後の社主 朝日新聞が秘封した「御影の令嬢」へのレクイエム」(2020年、講談社)がある。朝日新聞社の最後の社主となった村山美知子氏(1920‐2020)(以下「美知子氏」)の評伝だ。さすがにこれは縁のない世界だと思ったが、朝日新聞社の記者として過ごした樋田氏の職場人生を知りたくて、それも読んでみた。

 樋田氏は一貫して社会部の事件記者として過ごしたが、青天の霹靂というか、2007年4月に大阪本社秘書課に異動になった。仕事は神戸市在住の朝日新聞社の社主・美知子氏のお世話だ。事前に大阪本社代表が樋田氏を美知子氏のもとに連れて行った。代表は樋田氏をこう紹介した。「樋田君は社会部の事件記者が長かったので、不調法なところは多々ありますが、いいやつなのでよろしくお願いします」と。

 美知子氏は朝日新聞社の創業者・村山龍平(1850‐1933)の孫だ。村山家の当主で、朝日新聞社の最大株主だ。朝日新聞社は社長以下、腫れ物にさわるように美知子氏に接していた。樋田氏は畑違いの仕事に戸惑うことが多かった。だが、次第に美知子氏の人柄に惹かれていった。というよりもむしろ、社主としての務めを果たそうとする美知子氏に共感していった。

 樋田氏の共感は、経営側の最晩年の美知子氏にたいする対応とぶつかった。経営側は長年の村山家(朝日新聞社のオーナー)との対立に終止符を打つべく、高齢になって衰えた美知子氏に攻勢をかけた。樋田氏はその強引なやり方に憤った。自分の良心と経営側の方針とのギャップに苦しんだ。経営側はそんな樋田氏が邪魔になり、樋田氏を潰した。

 美知子氏は経営側に敗北した。本書は美知子氏の敗北の物語だ。同時に樋田氏の敗北の物語でもある。わたしも長い職場人生を送ったので、思い当たるふしがある。たとえば、小さなことだが、朝日新聞社の元社長の秋山耿太郎氏らが村山家の墓石を買おうとする。秋山氏は美知子氏が入院する病室を訪ね、「社主、お墓も造っちゃいましょうね」という。美知子氏は同意しなかったが、秋山氏は了解を取ったとして強引に進める。わたしの職場でも同様のやり方が横行した。わたしも何度煮え湯を飲まされたことか。その都度憤ったが、後の祭りだった。

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