毎年恒例のフェスタサマーミューザが始まった。昨日はカーチュン・ウォン指揮都響の演奏会があった。カーチュン・ウォンを聴くのは、今年3月の日本フィル、4月の読響以来3度目だ。どちらもすばらしい演奏会だった。さて、都響ではどうか。
1曲目はリストの交響詩「前奏曲」。過去2度の経験でもそうだったが、各パートが鮮明に聴こえる。カーチュン・ウォンの耳の良さは相当なものではないだろうか。個別の奏者ではオーボエの首席の鷹栖さんが表情豊かな演奏を披露した。
2曲目はチャイコフスキーの「ロココ風の主題による変奏曲」。チェロ独奏は岡本侑也。岡本侑也の演奏を聴くのは2度目だ。初めて聴いたときも、優秀な奏者だと思ったが、数年ぶりに聴く今回は、ずいぶん成長したなと思った。艶やかな美音に磨きがかかり、音楽には一本筋が通ったように思える。才能ある若手演奏家の成長ぶりは恐ろしいほどだ。
アンコールに「鳥の歌」が演奏された。それももちろんよかったのだが、前回わたしが聴いたときには、ジョヴァンニ・ソッリマの「ラメンタチオ」という曲が演奏された。その曲は途中からチェロ奏者のハミングが加わる曲だった(チェロを弾きながら、ある旋律を口ずさむ曲)。そんな曲があるのかと、わたしは衝撃を受けた。そのハミングにはどこか中東的な、あるいはユダヤ音楽的な音律があった。
なお「ロココ風……」でのオーケストラ伴奏も、独奏チェロにピタッとつけて、なかなか見事だった。オーケストラの出番がある曲ではないので、見事という表現は過大かもしれないが、そのオーケストラ伴奏にはセンスを感じた。
3曲目はドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」。クリアな音像、ニュアンス豊かな表現、フレッシュな感覚と、わたしが過去2度聴いたカーチュン・ウォンの特質が、この演奏でもよく出ていた。曲のどこで、どのパートを浮き上がらせるか、その明確なイメージをもつ演奏だった。
多くの方と同様に、わたしもカーチュン・ウォンの才能に確信をもった。カーチュン・ウォンは日本中のオーケストラを席巻する勢いだが、いずれどこかのオーケストラがカーチュン・ウォンを獲得するのだろうか。そうだとしたら、そのオーケストラはラッキーだ。
アンコールにドヴォルザークのスラヴ舞曲が演奏された(よく聴く曲で、明るく活気のある曲だが、何番だろう)。そのポジティブで開放的な音楽性は、カーチュン・ウォンの人柄を反映しているように思えた。終演後はカーチュン・ウォンのソロ・カーテンコールになった。
(2021.7.26.ミューザ川崎)
1曲目はリストの交響詩「前奏曲」。過去2度の経験でもそうだったが、各パートが鮮明に聴こえる。カーチュン・ウォンの耳の良さは相当なものではないだろうか。個別の奏者ではオーボエの首席の鷹栖さんが表情豊かな演奏を披露した。
2曲目はチャイコフスキーの「ロココ風の主題による変奏曲」。チェロ独奏は岡本侑也。岡本侑也の演奏を聴くのは2度目だ。初めて聴いたときも、優秀な奏者だと思ったが、数年ぶりに聴く今回は、ずいぶん成長したなと思った。艶やかな美音に磨きがかかり、音楽には一本筋が通ったように思える。才能ある若手演奏家の成長ぶりは恐ろしいほどだ。
アンコールに「鳥の歌」が演奏された。それももちろんよかったのだが、前回わたしが聴いたときには、ジョヴァンニ・ソッリマの「ラメンタチオ」という曲が演奏された。その曲は途中からチェロ奏者のハミングが加わる曲だった(チェロを弾きながら、ある旋律を口ずさむ曲)。そんな曲があるのかと、わたしは衝撃を受けた。そのハミングにはどこか中東的な、あるいはユダヤ音楽的な音律があった。
なお「ロココ風……」でのオーケストラ伴奏も、独奏チェロにピタッとつけて、なかなか見事だった。オーケストラの出番がある曲ではないので、見事という表現は過大かもしれないが、そのオーケストラ伴奏にはセンスを感じた。
3曲目はドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」。クリアな音像、ニュアンス豊かな表現、フレッシュな感覚と、わたしが過去2度聴いたカーチュン・ウォンの特質が、この演奏でもよく出ていた。曲のどこで、どのパートを浮き上がらせるか、その明確なイメージをもつ演奏だった。
多くの方と同様に、わたしもカーチュン・ウォンの才能に確信をもった。カーチュン・ウォンは日本中のオーケストラを席巻する勢いだが、いずれどこかのオーケストラがカーチュン・ウォンを獲得するのだろうか。そうだとしたら、そのオーケストラはラッキーだ。
アンコールにドヴォルザークのスラヴ舞曲が演奏された(よく聴く曲で、明るく活気のある曲だが、何番だろう)。そのポジティブで開放的な音楽性は、カーチュン・ウォンの人柄を反映しているように思えた。終演後はカーチュン・ウォンのソロ・カーテンコールになった。
(2021.7.26.ミューザ川崎)