Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

フェスタサマーミューザ:鈴木雅明/読響

2021年07月28日 | 音楽
 フェスタサマーミューザの読響の演奏会は、指揮者がベルリン在住の山田和樹から鈴木雅明に代わった。それに伴い曲目もチャイコフスキーの交響曲第2番がボロディンの交響曲第2番に変更された。メイン・プロのラフマニノフの交響曲第2番は変わらず。

 鈴木雅明のロシア物は珍しいと思ったが、鈴木雅明はプレトークに登場して、子どもの頃の思い出や芸大在学中の思い出を語り、ラフマニノフもボロディンも身近にあったことを強調した。とりわけラフマニノフの交響曲第2番については熱い共感を語った。

 読響は首席奏者の面々が揃い、まずは万全の態勢のように見えた。前日の都響では首席奏者の何人かがゲスト奏者だったので(その割には無難にこなした。ホルンのゲストの首席奏者は、最初はアンサンブルに溶けこまず、突出していたが、徐々にアンサンブルにおさまっていった)、今回の読響は心配なさそうだった。

 1曲目のボロディンの交響曲第2番が始まった途端に、弦楽器の荒々しく硬い音に驚いた。なんだ、これは?と。ギコギコとこするような音だ。管楽器も荒い。バッハ・コレギウム・ジャパンではけっして聴かない音だ。肩に力が入った演奏。それが鈴木雅明の考えるボロディンの演奏なのだろうか。ボロディンの、どこか楽天的な面のある音楽(と、わたしは考えるが)とは別の地平に立つ音楽だった。

 その演奏が鈴木雅明の考えるボロディンなら、それはそれとして尊重し、わたしがボロディンに見ているものと、鈴木雅明が見ているものとの違いを考え、理解したいと思うのだが、残念ながら今回は、それ以前に、どれだけリハーサルを積んだのかと疑問が湧いた。リハーサル不足ではないかと。

 2曲目のラフマニノフの交響曲第2番では、一転して柔らかく、明るい弦楽器の音が戻ってきた。こういってはなんだが、それは予想通りだった。アンサンブルがきめ細かくなり、オーケストラ全体がふくよかに鳴った。

 だが、この作品が長大なためか、聴き進むうちに、わたしは疲れてきた。克明な演奏ではあるのだが、気が休まる瞬間がない。終始緊張を強いられ、ホッと息を抜くことができないのだ。わたしは、当初予定の山田和樹のほうが、聴かせ上手なのではないか、いや、この長大な作品では、聴かせ上手という芸が必要ではないか、と(失礼ながら)考えるようになった。

 今回といい、先日の定期演奏会といい、読響の荒れ方には一抹の不安を覚えた。どちらも指揮者が交代したが、それが影響しているのだろうか。
(2021.7.27.ミューザ川崎)

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