Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

桐野夏生「バラカ」

2021年08月12日 | 読書
 桐野夏生(1951‐)の「日没」(2020)を読み、衝撃を受けたので、他の作品もいくつか読んでみようと思った。多作家のようだ。名だたる文学賞の受賞作品も多いが、まずは「日没」の直前の「バラカ」(2016)を読んだ。「バラカ」は原発事故を扱った作品だ。発行に当たって、ある男性作家に推薦文を依頼したところ、「原発のような政治的なテーマは……」と断られたらしい。それが「日没」執筆の動機になったとのこと。

 単行本で640頁あまりの長編だ。少々たじろいだが、意を決して読み始めると、ストーリー展開が鮮やかなので、長さが気にならなかった。大きく分けて三部構成になっている。「大震災前」、「大震災」そして「大震災八年後」。さらに冒頭には「プロローグ」、末尾には「エピローグ」がついている。プロローグは物語の見事な導入になっている。エピローグは読者のハラハラ、ドキドキした気持ちを鎮めてくれる。

 物語は乳幼児の売買市場というショッキングなテーマから始まる。そこに東日本大震災が発生する。福島第一原発の一号機から四号機までのすべてが爆発し、東京をふくむ東日本一帯が居住できなくなる――という設定だが、パニック小説ではなく、原発推進派と原発反対派との鋭い対立がテーマになる。

 「バラカ」とは中東のドバイで売られた少女の名前だ。現地では「神の恩寵」を意味する。バラカを買ったのは日本人の女性だ。バラカは東京に連れてこられる。その後のバラカの数奇な運命がこの物語だ。どこかサスペンス映画を思わせる。ネタバレ厳禁だろうから、具体的な指摘は避けるが、都合のよい展開に思える箇所もなくはなかった。でも、映画だと思えば、あまり気にならなかった。

 ミソジニー(女性嫌悪)の怪物のような人物が登場する。その男がバラカにつきまとう。バラカだけではなく、周囲の女性を次々に不幸にする。ミソジニーが本作のもう一つのテーマだ。本作はミソジニーと、乳幼児の売買と、原発問題との三つのテーマが骨格となり、そこに日本で働く外国人労働者のテーマなどが絡む構成だ。

 たいへんな力作だと思う。本作の骨格の大きさにくらべると、「日没」は本作の副産物という気がする。もちろんそれは「日没」を貶める意味ではなく(本作を読んだ後でも「日没」の衝撃力は少しも減じない)、両作の制作過程を顧みた場合の思いにすぎないが。

 わたしは本作を読んでいるあいだ、前述の推薦文を断った男性作家のことが、頭から離れなかった。そういう作家は、いまの日本社会では、むしろ多数派かもしれない。そんな社会にあって、あえて本作を書いた桐野夏生の気骨を感じた。わたしは桐野夏生と同年生まれだが、だからだろうか、共通の問題意識を感じる。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« フェスタサマーミューザ:下... | トップ | 「宮本三郎、画家として Ⅰ」展 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

読書」カテゴリの最新記事