平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

容疑者 室井慎次

2006年01月07日 | 邦画
 「踊る」シリーズのテンポとキレがない。

 冒頭は「なぜ室井さんが逮捕されたのか?」をナレーションで延々と語っていく。
 小説じゃないんだから、情況説明は芝居でやってほしい。
 
 「室井と新宿北署の刑事たち」、「室井と担当弁護士・小原(田中麗奈)」の2プロットで物語は進行していくのだが、どちらも消化不良。
 室井と刑事たち、弁護士との心のふれあいが伝わって来ない。
 警察をやめることになった室井が新宿署の刑事たちを前に「捜査会議を開く」というシーンは見せ場だったので、弁護士の下りをなくして刑事たちとの交流にスポットを当てた方がいいのではないかと思う。

 また、室井が何と対決しているのかがわかりづらい。
 「殺人事件の本当の犯人」なのか「室井を告訴した悪徳弁護士」なのか?
 「警視庁」と「警察庁」のポスト争いの醜さも描いているが、結局、両者が勝手に手打ちをして室井は何も解決していない。
 実は「本当の犯人」も「悪徳弁護士」も室井の力では何も解決していない。

 信念の男・室井慎次を描こうとしているのだろうが、暴行にあったり昔の自殺した恋人のことをリークされたりして、室井の行動がすぐに止まってしまうこともストレスが残る。

 以下の犯人と悪徳弁護士・拝島のせりふだけが迫力がある。(以下、ネタバレ)

 犯人「ふたりの男に言い寄られて、面倒くさいから片方を殺してもらっちゃった。あいつ(殺されなかった恋人の警官)、便利なんだもん。ホストクラブのツケは(警察の力で)チャラにしてくれるし、(押収した)ドラッグも廻してくれるし」
 弁護士・拝島「正義じゃ金になりませんからね」

★研究ポイント
 主人公が何と格闘して、どう行動したかを明確にすること。
 主人公が自分の心の葛藤をどう克服したかを明確にすること。
 それを描くためには、脇役やエピソードも省略することも必要。
 
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女王蜂

2006年01月07日 | 推理・サスペンスドラマ
 稲垣吾郎の金田一耕助で演じられた横溝正史「女王蜂」。

 横溝正史の世界の大きな特徴は、その舞台装置である。
 今回は大きな時計塔のある屋敷(旅館)。
 そこには過去に惨劇のあった「開かずの間」があって、開かずの間には犯行の凶器となった血のついた跡のある月琴、血の飛び散った壁がある。屋敷は奈落のある大がかりな舞台もある。

 そして長い髪の妖艶な美少女。

 そこに寄せられた一通の警告文。
「あの娘を東京に呼び寄せるのはやめろ。彼女は、慕い寄る男どもを死に至らしめる女王蜂である」

 行われる連続殺人事件も絵に妖艶な一枚絵だ。

 横溝正史の妖艶な耽美世界は映像を作る者を魅了するのだろう。
 そして日本人のDNAに刷り込まれた士族らのいる古き日本の風景。
 だから、横溝作品は繰り返し作られる。

 横溝正史は耽美趣味と古き日本の風景を血肉にしている最後の作家である。

 殺人のトリックは単純、しかし動機は怖い情念の世界だ。(以下、ネタバレ)

 ・美少女、大道寺智子に求婚する若者たちが次々と殺されていく。
  動機は、智子を愛するが故に他の男に渡したくないという妄執。

 ・犯人は智子の義理の父・欣三。
  彼は智子の母親、母親にどんどん似てくる智子の親子二代を愛してしまう。
  この20年に渡る親子二代という所が怖い。
  欣三を慕う家庭教師の女性が彼を守るために暗躍したことと欣三をかばうために
  「自分が愛する智子を奪われたくないがために殺人を犯した」と罪を被り、
  自殺してしまうことが、事件を複雑にし作品を推理小説にしている。

★研究ポイント
 魅惑的な舞台設定。
 情念・妄執の世界。
  
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