平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

亡国のイージス

2006年01月21日 | 邦画
「現在、本艦全ミサイルの照準は東京・首都圏内に設定されている。その弾頭は通常にあらず」

 占拠されたイージス艦「いそかぜ」。
 占拠したのは、副長の宮津と某国対日工作員ヨンファ。
 宮津はその思想を危険視した権力によって息子を殺されたことを恨み、ヨンファと手を組んだのだ。(彼の息子は守る価値のない現在の日本を憂慮した論文を書いていた。息子の主張は、そんな価値のない日本なら壊してしまえばいいというものだ)

 それに対抗するのは、先任伍長の仙石。
 宮津やヨンファの様な主義主張はない。
 彼がイージス艦で単身戦うのは、「この船を守るのが俺の任務である」ことと、自分の部下でもある「如月」(ヨンファらの行動を阻止するために派遣された防衛庁情報局DAISの諜報員)を守るため。
 やがて、彼はヨンファたちがわずか1リットルで東京を壊滅させる兵器「GUSHO」(グソー)を持っていることを知り、その投下を阻止するために戦う。
 
 この作品で描かれているのは、主義主張の怖さだ。
 現在の日本を「亡国」と見る宮津の主義主張、ヨンファの主義主張。
 それらを持つことによって人はどんな大量殺人も行えるようになる。
 戦争を行えるようになる。

 それに対して、イージス艦の中で戦う仙石は「人間」であろうとする。
「おまえは戦争がわかっていないというが、おまえは人間がわかっていない。命を奪うかの奪われるかの戦闘中であっても、銃を撃つ時ためらうのが人間だ」
 副長の宮津も息子を愛するひとりの父親であり、艦を奪った動機には息子のことがあるのだが、ひとりの人間に戻った時、ある行動に出る。

 宮津らに要求を突きつけられた政府(内閣安全保障会議)の対応はクールだ。
 GUSHOに対抗する兵器を使って、「いそかぜ」を沈めようとする。
 ゲーム画面で戦争ゲームをするような感覚だ。
 そこには、宮津らの要求を飲むという選択肢・葛藤はない。
 飲めば、GUSHOという兵器の存在が知られ、スキャンダルになる。
 わずかにあるのは、対抗兵器の使用によって被害が「いそかぜ」以外に及ぶこと。

 GUSHOという力を持ったヨンファ、権力を持った総理大臣。
 力を持つ者は「人間」でなくてはならない。
 力を使う時は葛藤しなければならない。
 ちょうど、仙石が如月に言ったように。
「命を奪うかの奪われるかの戦闘中であっても、銃を撃つ時ためらうのが人間だ」

★研究ポイント
 主義主張を持ったキャラクター・権力、力を持ったキャラクター
         VS
 人間でありたいと思うキャラクター

 この対立図式。
 人は「主義主張を持つ」と「力を持つ」と「高みに立つ」と、人間にとって何が本当に大切なのかが見えなくなる。
コメント
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