平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

司馬遼太郎 「関ヶ原」

2006年01月28日 | 小説
 歴史小説家として名高い司馬遼太郎だが、人物造型にもたけている。
 以下は「関ヶ原」島左近の描写。
 
 謎の行動をとる左近に徳川の間者・源蔵が尾行する。
 膏薬陀羅尼助売り、山伏、女行者に姿を変えて。
 だが、左近はそれを察知し、きっかけを作り、源蔵と会話をかわすと同行しようと提案する。
 以下は、共に歩く左近と源蔵の会話。

源蔵「ご雷名はうけたまわっております。旅の空の下ではわれわれ卑賤の修験者がそばにも寄れぬ方でございます。島左近様と申せば、1万5千石のご身上。ご家来衆も連れず、御槍も立てず、御馬も曳かずひとり旅をなさるとはどういうご酔狂でございましょう」
左近「単に癖だ。気にするな。だが、御坊も妙な癖をもっている。船の中では女のまねをしたり、大坂の町中では陀羅尼助の荷を背負ったり」
   正体がばれてうろたえる源蔵。
左近「徳川殿とは風変わりな人だな。そのほうども伊賀甲賀の者を多数扶持されてなにをなさろうとしているのか」
   さらに家康と秀吉を比較して言う。
左近「わしは太閤をべつに好きではない。しかしながら、天性陽気な太閤は伊賀甲賀の忍びなどは使わなかった。そのことで太閤は後世まで人々に好かれ、家康殿は後世まで人柄の暗さを残すであろう」

 非常にかっこいい!
 源蔵に尾行された時「なにやつ?名をなのれ!」と普通に表現したのでは、こんなにキャラクターは立たない。
 軍師・島左近の描写として秀逸だ。
 島左近の秀吉・家康の人物観も会話の中でスムーズに語られている。
 これを地の文で書いたら単なる説明になりつまらない。

 後半、左近はこの源蔵に命を狙われる。
 源蔵は銃で狙撃すべく、左近を待ちかまえていたのだ。
 だが、左近は源蔵の視界に入る前に馬から下りてそれに備える。
 地形が伏兵をうずめるのに絶好な場所だからだ。
「まさかと思うが念のためだ」

 ここで司馬遼太郎は、こう表現する。
「戦術家の資格の第一要件は『まさか』という言葉を使わないことである。ささいなことでも念を入れることであった」

 こうして、左近は銃で狙う源蔵の背後に回り込み、源蔵を斬る。

 作品中には左近の政治観・人生観も描かれる。

 繁栄している大坂を三成は見てこう言う。
「太閤殿下の偉大さがわかるではないか。太閤殿下出ずるにおよんで、群雄を一手に沈め、五畿七道を平定し、この大坂に政都をもうけ、天下の民を安んじた」
 それに対して左近は「いま申されたこと、正気でござるか」と三成に言い、自説を述べる。
「古来、支配者の都府というものに、人が集まるのは当然で、何も大坂に限ったことではござらぬ。利があるから人があつまる。恩を感じてあつまるわけではない」
「大坂が繁盛していると申されるが、それは都心だけのことでござる。郊外二、三里のそとにゆけば、百姓は多年の朝鮮ノ役で難渋し、雨露の漏る家に住み、ぬかを食い、ぼろをまとい、道路に行き倒れて死ぬ者さえござる」

 左近はしっかりした歴史観を持った現実的な政治家なのだ。

 また、自分の人生観を病床の妻に語る。
 左近は家康との戦いで自分が死ぬかも知れないことを妻に語るのだ。
「勝つか負けるかは天と時の運だ。勝てば家康は地上から消え、負ければ、治部少輔どのはむろんのこと、わしは花野(妻の名)のもとを去る」
「男の最大の娯楽といっていい、自分が興るかほろびるかという大ばくちをやることは」
 そして、そんな生き方を妻の父はこう言う。
「おもしろし」


★研究ポイント
 キャラクターの立て方。
 その人物の人生観・政治観をしっかり描くこと。
 人生観・政治観を地文でなく、会話・芝居の中で語る手法。
コメント
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