平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

視線のエロス

2006年01月19日 | 洋画
 全編、恋人を見つめる男の視線で描いた作品。
 確かに視線というのはエロチックだ。

 物語は39歳の妻子持ちの男フランソワが22歳の恋人ミュリエルと別れるまでが描かれる。
 そこにあるのは不倫。
 ミュリエルはセックスの後、妻のもとに帰っていくフランソワに不満を持ち、フランソワは別の若い恋人ができたことに嫉妬する。
 そして、この中年男はミュリエルと別れた後も未練たらたらだ。
 ラスト、フランソワはミュリエルに手紙を書く。
「君に会うまで愛も憎しみも知らなかった。君や君の肉体に倦むことを願ったが、それもできず、君への想いは尽きない。今は君と過ごした記憶があるだけだが、記憶には情熱を留めておくことはできない」

 この作品はミュリエルの変わりようが面白い。
 最初、彼女は不倫なんてとんでもないと考えている常識人だった。
 そんなミュリエルを口説きまくるフランソワ。
「僕は君に会うたびに口説き続ける。君となら何時間でもセックスできそうだ」
「彼とのセックスは物足りないんじゃなかったのか」
「君の手に触らせてくれ」
「君のはだかを見てみたい。決して触れないから。君のはだかを見るために高級ホテルのスウィートをとったよ」
 そんな口説き方をされて、不倫に応じるミュリエル。
 それから彼女は段々大胆になっていく。
 郊外にあるフランソワの別宅に行くと、夫婦の寝室で寝たがる。そして言う。
「夫婦の寝室で私はしたい。私はすごく興奮するわ」
 フランソワの経営するブティックに行きセーターを買った時、ミュリエルはこう思ったという。
「あなたの触れた胸を奥さんに見せたかった」

 この作品は男の視線で恋愛を描いた実験作だが、内容と映像の意図はあまりうまくリンクしていない。
 中年男の若い女性を見る視線がもっと「いやらしく」「美しく」強調されれば、エロティックになっていたと思うのだが……。


★研究ポイント
 視線、主観表現は映像のモノローグ。
 小説で言う「私は……」の表現。
 もっと研究され効果的に使われてもいい。
コメント
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