BBC製作のドキュメンタリー「巨匠アルフレッド・ヒッチコック」を見た。
ヒッチコックは「劣等感」のかたまりだった。
「劣等感」があったため、彼は映画監督としての名声を求めた。
彼が自分の映画に出るのは、これが自分の作品であることを顕示するためである。
美しい「俳優」へのコンプレックスもあって1シーンの登場であるが、彼はスクリーンに出たがった。
TV番組「ヒッチコック劇場」を作ったのは、名声のためだったという。
現に彼はこの番組で若者に支持された。
「サイコ」は古い批評家には非難され、配給会社からは客が入らないと判断されたが、「ヒッチコック劇場」を見ていた若者からは、自分たちの映画として支持されたらしい。
彼は「ヒッチコック劇場」で自分を道化にして登場したが、それは「劣等感」の裏返しであった。コンプレックスのある人間は道化を演じる。どうせイイ男は演じられないし。
彼の「劣等感」は女性に向けられた。
自分に見向きもしない美しい女性への復讐。
「俳優に演技力はいらない」というのはヒッチコックの名言だが、「サイコ」のシャワーシーン。
あれこそ演技はいらない。カットのモンタージュによって殺人シーンを描いていく。現にこのシーンで殺されたジャネット・リーは「あのシーンで自分は何を演じているのかわからなかった」と語っている。
「鳥」ではこんな撮影の仕方をしたという。
「箱の中に女優を入れ、鳥を次々と投げつけたのだ」という。
当然、女優は手で鳥を追い払う。
これこそ迫真の演技というわけだ。
ヒッチコックにとって女優は人間ではない。
「物」だ。
それは自分を相手にしなかった美しい女たちへの復讐だ。
また、ヒッチコックは自分だけの女優を作ろうとしたという。
自分の作品だけに出て自分の意のままに使える女優だ。
ヒッチコックは美しい人気女優を撮ってきたが、彼女らは自分の要求どおり演じてくれるわけではない。
それに不満を感じて、自分だけの女優を望んだらしいのだが、ここに彼の強い独占欲を感じる。
また、彼は子供の様であった。
彼の1シーンの映画出演は悪戯・遊び心の現れでもある。
彼の映画はプラモデルを作るような感じで撮られ、「どうだ、すごい映像だろう」と子供が自分の作品を見せつけている様だ。
最後にまとめよう。
彼は「サイコ」の予告で自らが出演して言う。
「母親に抑圧された少年はどの様な行動を取るか……」
「母親に抑圧された少年」というせりふは「女性に抑圧された少年」と言い換えてもいい。
「女性に抑圧された少年」が、思い描いた作品がヒッチコックの作品なのである。
★研究ポイント
強い欲望が作品に昇華する。
作品は作家の人間性と切り離せない。
また、そうでなければ本物ではない。
ヒッチコックの言葉。
次にどんな映画を撮りたいかと訊かれ
「暴力・殺人・セックスが絵画のように散りばめられた作品。見事な衣装、見事なカット、気の利いたショックのある作品」
ヒッチコックは「劣等感」のかたまりだった。
「劣等感」があったため、彼は映画監督としての名声を求めた。
彼が自分の映画に出るのは、これが自分の作品であることを顕示するためである。
美しい「俳優」へのコンプレックスもあって1シーンの登場であるが、彼はスクリーンに出たがった。
TV番組「ヒッチコック劇場」を作ったのは、名声のためだったという。
現に彼はこの番組で若者に支持された。
「サイコ」は古い批評家には非難され、配給会社からは客が入らないと判断されたが、「ヒッチコック劇場」を見ていた若者からは、自分たちの映画として支持されたらしい。
彼は「ヒッチコック劇場」で自分を道化にして登場したが、それは「劣等感」の裏返しであった。コンプレックスのある人間は道化を演じる。どうせイイ男は演じられないし。
彼の「劣等感」は女性に向けられた。
自分に見向きもしない美しい女性への復讐。
「俳優に演技力はいらない」というのはヒッチコックの名言だが、「サイコ」のシャワーシーン。
あれこそ演技はいらない。カットのモンタージュによって殺人シーンを描いていく。現にこのシーンで殺されたジャネット・リーは「あのシーンで自分は何を演じているのかわからなかった」と語っている。
「鳥」ではこんな撮影の仕方をしたという。
「箱の中に女優を入れ、鳥を次々と投げつけたのだ」という。
当然、女優は手で鳥を追い払う。
これこそ迫真の演技というわけだ。
ヒッチコックにとって女優は人間ではない。
「物」だ。
それは自分を相手にしなかった美しい女たちへの復讐だ。
また、ヒッチコックは自分だけの女優を作ろうとしたという。
自分の作品だけに出て自分の意のままに使える女優だ。
ヒッチコックは美しい人気女優を撮ってきたが、彼女らは自分の要求どおり演じてくれるわけではない。
それに不満を感じて、自分だけの女優を望んだらしいのだが、ここに彼の強い独占欲を感じる。
また、彼は子供の様であった。
彼の1シーンの映画出演は悪戯・遊び心の現れでもある。
彼の映画はプラモデルを作るような感じで撮られ、「どうだ、すごい映像だろう」と子供が自分の作品を見せつけている様だ。
最後にまとめよう。
彼は「サイコ」の予告で自らが出演して言う。
「母親に抑圧された少年はどの様な行動を取るか……」
「母親に抑圧された少年」というせりふは「女性に抑圧された少年」と言い換えてもいい。
「女性に抑圧された少年」が、思い描いた作品がヒッチコックの作品なのである。
★研究ポイント
強い欲望が作品に昇華する。
作品は作家の人間性と切り離せない。
また、そうでなければ本物ではない。
ヒッチコックの言葉。
次にどんな映画を撮りたいかと訊かれ
「暴力・殺人・セックスが絵画のように散りばめられた作品。見事な衣装、見事なカット、気の利いたショックのある作品」