刑事ドラマをずっと書きたくて、シナリオセンターの「21世紀の太陽にほえろ」講座を聴いた。
お話しされたのは、「太陽にほえろ」の岡田晋吉プロデューサー。
まずお話しされたのは、「太陽」が「刑事ドラマ」であると同時に「青春ドラマ」であるということ。(ふたつの異なったジャンルを掛け合わせるという企画立案の手法だ)
そして刑事の心情ドラマだということ。
これが斬新だ。
同じ刑事ドラマでも「古畑任三郎」「相棒」は刑事の心情を描いていない。
ドラマは犯罪を犯す犯人の方にある。
古畑任三郎は時に観覧車に仕掛けた爆弾犯人(木村拓哉)を戒めて叩いたりするが、あくまで犯人を追いつめる頭脳ゲームを楽しんでいる。ここにドラマ・葛藤はない。
「24」のジャックには葛藤はあるが、核爆弾爆発を阻止するという使命から起こる葛藤。分かりやすい。
「太陽にほえろ」のマカロニは、犯人に対して銃を撃てない自分に悩む。自分は刑事に向いていないのではないかと悩む。
岡田プロデューサーは、刑事の「新入社員」の物語にしたかったとおっしゃられていたが、マカロニの悩みはまさに「刑事の新入社員」の悩み。
これをどう克服するかが番組1時間のテーマになる。
決して犯人のそれではない。
事件はこうだ。
拳銃でチンピラを撃った若者(水谷豊)が逃亡している。
マカロニこと速水刑事(萩原健一)は若者を追いつめるが、銃を撃つことができずに逃がしてしまう。おまけにゴリさん(竜雷太)が撃たれて、足に怪我をする。
ボス(石原裕次郎)はマカロニを叱る。
刑事に向いていないと悩むマカロニ。
それに対してゴリは言う。
「ボスが怒ったのは撃たなかったことじゃない。犯人を逃がしたことだ。犯人を逃がしたことで被害者がさらに出る可能性があるからだ」
これでマカロニは若者を追う。
自分には拳銃は必要ないと言って。
マカロニは若者が親しくしているレストランのマスターから、3時に後楽園遊園地で待ち合わせしていることを聞き出すと、若者を逮捕に向かう。
そして後楽園球場。
追いつめられた若者はマカロニに銃を向ける。
マカロニは銃を持っていないと言う。
銃を撃つことは意味のないことだと言う。
これで若者は銃を捨て、逮捕される。
そしてラスト。
ボスはマカロニに言う。
「あの状況であいつが銃を撃つか撃たないかは俺にもわからなかった。だが、人は簡単に銃を撃つものでないことを俺は信じている」
これでマカロニの葛藤も解消される。
テンポは70年代だが、見事なシナリオだ。
刑事の心情ドラマ、成長ドラマになっている。
★研究ポイント
企画の立て方。
企画の作り方。
切り口を変える。異質なものを組み合わせる。
現代の刑事の心の葛藤とはなにか?
岡田プロデューサーはこんなことも言われていた。
「新米刑事が変わることで作品の雰囲気が変わった」
マカロニはゴリさん達と絡んで自分の色を出し、ジーパンは同じく絡んで自分の色を出す。
古畑任三郎が様々な犯人と絡むのもこの効果を狙ってだろう。
これが物作りの面白さだ。
★追記
各刑事の描写がかっこいい。
山さんは麻雀屋にいる。そこにいるのは実はたれ込み屋から情報を得るため。
ゴリさんは銃に弾丸をこめていない。銃を撃ちたくないから。銃を撃たなくても犯人を自分は逮捕できると思っているから。
そして、それら刑事の自分流のやり方を認めているボス。
「太陽」は新米刑事が、どの様に自分の捜査方法を作っていくかを描くドラマでもある。
お話しされたのは、「太陽にほえろ」の岡田晋吉プロデューサー。
まずお話しされたのは、「太陽」が「刑事ドラマ」であると同時に「青春ドラマ」であるということ。(ふたつの異なったジャンルを掛け合わせるという企画立案の手法だ)
そして刑事の心情ドラマだということ。
これが斬新だ。
同じ刑事ドラマでも「古畑任三郎」「相棒」は刑事の心情を描いていない。
ドラマは犯罪を犯す犯人の方にある。
古畑任三郎は時に観覧車に仕掛けた爆弾犯人(木村拓哉)を戒めて叩いたりするが、あくまで犯人を追いつめる頭脳ゲームを楽しんでいる。ここにドラマ・葛藤はない。
「24」のジャックには葛藤はあるが、核爆弾爆発を阻止するという使命から起こる葛藤。分かりやすい。
「太陽にほえろ」のマカロニは、犯人に対して銃を撃てない自分に悩む。自分は刑事に向いていないのではないかと悩む。
岡田プロデューサーは、刑事の「新入社員」の物語にしたかったとおっしゃられていたが、マカロニの悩みはまさに「刑事の新入社員」の悩み。
これをどう克服するかが番組1時間のテーマになる。
決して犯人のそれではない。
事件はこうだ。
拳銃でチンピラを撃った若者(水谷豊)が逃亡している。
マカロニこと速水刑事(萩原健一)は若者を追いつめるが、銃を撃つことができずに逃がしてしまう。おまけにゴリさん(竜雷太)が撃たれて、足に怪我をする。
ボス(石原裕次郎)はマカロニを叱る。
刑事に向いていないと悩むマカロニ。
それに対してゴリは言う。
「ボスが怒ったのは撃たなかったことじゃない。犯人を逃がしたことだ。犯人を逃がしたことで被害者がさらに出る可能性があるからだ」
これでマカロニは若者を追う。
自分には拳銃は必要ないと言って。
マカロニは若者が親しくしているレストランのマスターから、3時に後楽園遊園地で待ち合わせしていることを聞き出すと、若者を逮捕に向かう。
そして後楽園球場。
追いつめられた若者はマカロニに銃を向ける。
マカロニは銃を持っていないと言う。
銃を撃つことは意味のないことだと言う。
これで若者は銃を捨て、逮捕される。
そしてラスト。
ボスはマカロニに言う。
「あの状況であいつが銃を撃つか撃たないかは俺にもわからなかった。だが、人は簡単に銃を撃つものでないことを俺は信じている」
これでマカロニの葛藤も解消される。
テンポは70年代だが、見事なシナリオだ。
刑事の心情ドラマ、成長ドラマになっている。
★研究ポイント
企画の立て方。
企画の作り方。
切り口を変える。異質なものを組み合わせる。
現代の刑事の心の葛藤とはなにか?
岡田プロデューサーはこんなことも言われていた。
「新米刑事が変わることで作品の雰囲気が変わった」
マカロニはゴリさん達と絡んで自分の色を出し、ジーパンは同じく絡んで自分の色を出す。
古畑任三郎が様々な犯人と絡むのもこの効果を狙ってだろう。
これが物作りの面白さだ。
★追記
各刑事の描写がかっこいい。
山さんは麻雀屋にいる。そこにいるのは実はたれ込み屋から情報を得るため。
ゴリさんは銃に弾丸をこめていない。銃を撃ちたくないから。銃を撃たなくても犯人を自分は逮捕できると思っているから。
そして、それら刑事の自分流のやり方を認めているボス。
「太陽」は新米刑事が、どの様に自分の捜査方法を作っていくかを描くドラマでもある。