平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

N’s あおい 第9話

2006年03月08日 | 職業ドラマ
第9話を使ってシーンとシーンのつなぎを研究してみる。

田所の行うリストラの対象となった看護助手の北沢。
彼はアルバイトで看護助手をやり、ミュージシャンを目指している。
しかし、音楽・看護助手とも中途半端。
そこを田所から指摘を受ける。
「夢を言い訳にして気楽な立場でいいな。夢を口にするくせに何の努力もしていない。私はそんなやつが大嫌いだ」
半ば当たっていることもあり、北沢はあおいに言ってしまう。
「看護助手をしているのは金がいいせい。俺、なんで患者の汚物の世話なんかしているんだろう。(意識障害で5年間眠り続けている)白井さんに話しかけても無駄だよ」
あおいは北沢を平手打ちして言う。
「そんなふうに思っているなら患者さんに触らないで」

シーンのつなぎは次である。
バンド仲間と道を歩いていると、サラリーマンが嘔吐している。仲間はただの酔っぱらいと行き過ぎようとするが、北沢は気になる。酒を飲んだ嘔吐とは思えない。でも、自分は看護士でもないしクビにされる身だ。そのまま仲間と歩いていく。
次のシーン。
病院に歩いてくるあおい。
救急車が乗りつける。あおい、急患だと思って救急車に近づくが中から付き添っていた北沢も出て来る。
実にうまい。
不審に思った北沢が救急車を呼ぶのでは、この様な効果は生まれない。

次は時間経過のつなぎ。
看病疲れから白井の奥さんは白井のライフラインを外してしまう。
高樹を呼ぶために走る北沢。
心拍と脈を示す器械。
処置をしている高樹。
間に器械を挟み込むことで時間経過を表現している。

次のシーンとシーンのつなぎも見事だ。
ライフラインを外してしまった事件が病院で問題になる。
次のシーンでは当然、事件当事者の白井の奥さんが、起こしてしまった事件に対して謝罪するというのが通常のリアクションだが、この作家はそうはしない。
白井家は花屋をやっているが、今日は市場に仕入れにいけないことをあおいに話すのだ。あおいは今から市場に行くことを提案する。
そして市場の競りのシーン。
白井の奥さんは、夫が自分のためにチューリップ(花言葉は永遠の愛)を競り落としてくれたことを話してのろける。
そして競りが終わった後、奥さんは初めて自分の苦悩を語るのだ。
「自分は花屋を続けることが夫の望みだと思ってがんばってきた。でも、今は夫は自分を死なせてくれと言っている様にも思える。器械で生きながらえるのは嫌だと言っている様にも思える。私は夫が何を望んでいるのかわからない」
競りのシーン、のろけ(想い出)のシーンを間に挟むことによって、このせりふがより活きてくる。
シーンのつなぎの効果はこんな所にある。
この競りのシーンは、後に白井が意識を取り戻すきっかけにもなる。
物作りをする人間は、シーンのつなぎに細心の注意を払うべきである。
通常のつなぎではない別の方法がないかを考えるべきである。
これが作品の味わいを深くする。

★研究ポイント
 シーンのつなぎ。
 当たり前でないシーンのつなぎを考えるべき。

★追記
 今回の名セリフはこれ。
「医療や看護に無駄なんてない。可能性があれば闘うのが俺たちの仕事だ」(高樹)
「君のしたことは結局家族を苦しめ、負担をかけたことになるのではないのかね」
(田所)
 白井を生きながらえさせた高樹に田所が言ったせりふ。今回の対立要素だ。白井は五感刺激という看護で意識を取り戻す。

「がんばらないで下さい。看護でがんばるのは私たち看護士です」
「奥さんがいらっしゃった時、白井さんの手は温かくなるんですよ。奥さんの笑い声が白井さんの希望になるんです」(あおい)
「意識を取り戻して、私にチューリップを競り落として!」(白井の奥さん)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする