平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

福岡・教師いじめ事件

2006年10月16日 | 事件・出来事
福岡の中2自殺 級友の前で「偽善者」「うそつき」 担任、いじめ誘発(産経新聞) - goo ニュース

 別の報道に拠れば、学校では今回の自殺について生徒にアンケートをとり、そのアンケートには「教師のいじめ」のことが書かれていたという。
 そして、学校はそれを親に伝えていなかったという。
 「教師のいじめ」がわかったのは、両親が無理やりアンケートを見せてもらったから。
 この隠蔽体質。
 そして、この教師の人間性の欠如。
 恐らくこうしたことが慢性化して、当たり前になっていたのだろう。

 自殺した少年の遺書。
「いじめです。至って本気です」
「貯金はすべて学級に」
「いじめたウザいやつらに取り憑いてやる」
 少年は最期まで救われることなく、「恨み」と「怒り」の中で死んでいった。

 北海道の事件から続いてまた、この様な事件。
 金属バットや放火の様にこうした事件は連鎖する。
 自分の死がこうした影響力を持つことを知れば、今いじめられている少年たちは同様の方法で復讐を果たすだろう。
 それが自分が生きた存在証明にもなる。
 つらい。

 いじめはマイナスの感情。
 自殺に拠る復讐もマイナスの感情。
 人間がこうしたマイナスの感情を抱くことは否定できないが、他に逸らすことは出来る。
 それがエンタテインメントの力だ。
 笑って感動することはもちろん泣くことも重要。
 劇中の主人公に涙することで、共感し癒される。
 今の人たちはつらいことがあった時、泣くことをせずいきなり怒りに行くという。外に向かってしまう。

「嫌われ松子の一生」 松子は転落の人生を歩むが、人を恨むことは少なかった。
 信じて裏切られて、それでも信じようとした。
 人を恨んで自殺しようとは思わなかった。
 そして、不本意に訪れた死によって浄化された。

 死は「恨み」「怒り」を持っていくものではなく、浄化されるものでなくてはならないと思う。
 その点でもつらい死だ。

★追記
 少年をいじめた子供たちは謝罪に少年の家に訪れたそうだ。
 学校側は相変わらずの対応。
 10月19日には「文部科学省」の報告書類を持って訪れただけ。
 腹をくくってすべてを公にすると言ったにも関わらず。
 いじめをした教師も一生かけて償うと言ったが。
 間違いを間違いと言えること。
 子供の方が立派だ。
 教師や教育委員会は、なぜ「教育」に携わろうと思ったのか?

コメント
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