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平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

だめんず・うぉ~か~と結婚できない男

2006年10月13日 | 恋愛ドラマ
 「だめんず・うぉ~か~」はもっと主人公の大泉まりあ(藤原紀香)を描き込まないと「だめ」である。
 まりあの役者さんの演技の問題もあるが、主人公が魅力的でないのが致命的だ。

 冒頭、合コンのシーンから始まるが、ここは男たちに相手にされない「負け犬」を描くのではなく、まりあが「だめんず・うぉ~か~」であるのを真っ先に描かなくてはならない。ここでドラマの焦点がぼけてしまっている。
 まりあが「だめんず・うぉ~か~」であることが、具体的に描かれるのは、一ツ橋信(宮迫博之)との恋に失敗した後半。
 ナレーションでもいいから「自分はだめな男に恋をしてきました。だから恋をするのはやめようと思ってます」ということを視聴者にわからせなくてはならない。
 作品中、雨の中音に捨てられて指輪を投げる回想が何回も使われていたが、描かれるべきは「もてたい男」「暴力男」「ぬいぐるみ男」「ワリカン男」「フリーター男」「やりたがり男」「ドリーム男」「おねだり男」といった原作で描かれてきた男たちに振りまわされてきたまりあ。
 そこから一ツ橋との恋が始まり、ダメ男に引っかかりそうな高見ナツ(山田優)へ忠告するまりあが描かれなくてはならない。

 この作品を見ていてどうしても比べてしまうのは、同じ現代の恋愛を描いている前クールの「結婚できない男」だ。
 まず、前述の主人公のキャラクター。
 桑野信介のキャラクターは実に個性的でその発言も面白かったが、まりあはそうではない。「恋に失敗したからもう恋をしない」では、今までに描かれ尽くされてきたキャラだ。
 金魚の扱いでもそう。
 自宅で金魚を飼っているのは信介と同じだが、金魚に名前を付けて「男」を見ているまりあと「金魚は物を言わず自分の生活が妨げられないのがいい」と思っている信介とでは大きな違いだ。
 金魚にどんな意味を込めるか?
 作家はそこに知恵を絞るわけだが、まりあの場合はあまりにも当たり前だ。
 また「結婚できない男」では金魚すくいで奮闘する信介が描かれたが、「だめんず」では描かれていない。恐らくどこかで買ったのだろう。
 細かい所だが、こういう所にこだわってしっかり描くかどうかでキャラクターが立つかどうかが決まる。

 描かれている場面も「だめんず」では、合コン、セレブなパーティ、高級レストラン。
 視聴者はもうこれらの描写に見飽きている。
 「結婚できない男」に登場した焼き肉屋、マンガ喫茶、レンタルビデオ店の方が新しく見える。
 また、そこで人物たちが何をするかの方が重要だ。
 信介はひとり焼き肉をする。こだわりで見たいビデオがある。こだわりでお好み焼きを焼く。夏美はその時の気分に合わせたマンガを読む。
 「だめんず」の場合は、押切もえが登場、いきなり男が乱入。
 実に安っぽい。
 サプライズでタレントが出たり、大きな事件が起きればドラマになると思っている。
 作家はもっと知恵を絞ってほしい。

 脇キャラの魅力もそうだ。
 「結婚できない男」のみちると山田優のキャラを比べてみれば明白。
 山田優のキャラはただのセレブに憧れるバカ女。
 これでは誰も感情移入しない。

 まりあが一ッ橋に恋に落ちる描き込みも浅い。
 1話完結でひとりの男に失敗するのが作品コンセプトであり、まりあがそういうキャラなので仕方がないと言えば仕方がないのだが、あまりにも芸がなさ過ぎる。
 今回は別のダメ男に失敗して、一ッ橋とのことはある程度、回数を重ねて描くべきだったと思う。(今後も一ッ橋はまりあと絡んでくるだろうが、第1回で正体をばらしてしまうのはどうか?彼がまりあに惹かれる理由もはっきりしていなかったし、いきなり雨で戯れるのも唐突だったし)

 これも「結婚できない男」との比較だが、ドラマのスピードというものがある。
 1話でひとつの恋を描くか、全12話を通してひとつの恋を描くか?
 「結婚できない男」は後者で、それゆえにキャラクターの描き込みが出来たのだろうが、「だめんず」は一話完結にこだわったがために、心情やキャラクターの描き込みを忘れてしまった。
 1話完結で有効なのは事件物。
 心情を丹念に描かなくてはならない恋愛物には不向きだ。

コメント
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