平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

他人に関わらずに生きる

2009年02月28日 | 研究レポート
 ときどき過去記事をふり返ってあれこれ考えてみることにします。

 今回は<他人と関わらずに生きる>ということ。

★「占星術殺人事件」(島田荘司・著)で探偵の御手洗潔は<他人と関わらない生活>についてこの様に語っている。
「僕は今のこの生活が気に入っているんだ。このペースを、頭をどっかに置き忘れてきたような連中に乱されたくないね。
 翌日仕事さえなきゃ好きな時間まで眠れる。パジャマのままで新聞も読める。好きな研究をやり、気に入った仕事だけのためにそのドアを出ていく。嫌な奴には嫌な奴だと言えるしね。白を白、黒を黒と誰に気がねもなく言うことができる。これらはみんな、世間から相手にされないルンペンと言われることと引き替えに、僕が手に入れた財産だ」

 他人にペースを乱されずに生きていける。
 好きなことが出来るし、好きなことも言える。
 これが<他人と関わらずに生きること>の効用。
 僕もサラリーマンをやめてフリーで仕事をしてますが、御手洗の言ってることはよくわかります。
 ただある物を得ればある物を失うというのは人生の真実。
 そのことについて御手洗はこう言っている。
「これらはみんな、世間から相手にされないルンペンと言われることと引き替えに、僕が手に入れた財産だ」

 世間から切り離されて生きるということは<世間から相手にされないルンペンと言われること>。
 ひとりぼっちが嫌で裕福な生活をしたい人は決してこの様な生き方を選んではいけないということ。
 人は時として<束縛のない自由な生活><ひとりの生活>に憧れますが、<世間から相手にされないルンペンと言われる>境遇を受け入れられる覚悟があるかと御手洗は説いている。

★同じく孤独の哲学として江戸川乱歩。
 「幻影の城主」という随筆の中でこの様に書いている。
「弱者であった少年は、現実の、地上の城主になることを諦め、幻影の国に一城を築いて、そこの城主になってみたいと考えた」

 これは幻影の国(=空想の世界)に生きることを自らの人生とした乱歩の決意表明。
 具体的には現実に働きかけるのではなく小説の世界に耽溺して生きること。
 確かに現実は平坦で退屈で、時として厄介ですからね。
 小説世界の方が波瀾万丈の冒険も出来るし恋愛も出来る。
 実に甘美ですが、乱歩も警告を忘れない。
 <現実の、地上の城主になることを諦める>
 つまり<地上の城主>=立身出世や世間に認められるということを諦めなくてはならないということ。

 これは我々凡人にはなかなか出来ない覚悟です。
 やはり欲があるし、惨めにひとりで死んでいくのはつらい。
 結論を言うと、こうして悩んで揺れ動くのが生きるということなんでしょうね。

 「占星術殺人事件」レビューはこちら

 「幻影の城主」レビューはこちら


コメント
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