世界の金融王の経歴
長い間、世界経済・金融の帝王として、米国中央銀行FRBの議長であった、アラン・グリーンスパン。
グリーンスパンは学生時代、スパイ養成大学として名高いコロンビア大学で博士号を取った。第二次世界大戦中、対日の暗号解読部隊の中心地であった大学である。
学生時代のグリーンスパンの経済学の指導教授はジェーコブ・ウォルフォウィッツ。後に父ブッシュ政権で、国防副長官としてイラクとの戦争を強く主張するイスラエル直系の軍事産業の代理人ポール・ウォルフォウィッツの父である。
学生時代からグリーンスパンは、この「組織」に「リクルート」されていた。
1977年、ロスチャイルドの銀行J・P・モルガンの、「社員」としてグリーンスパンは頭角を現わす。このモルガン時代のグリーンスパンの同僚に、サウジアラビアの富豪スレイマン・オラヤンが居た。オラヤンはモルガンの国際諮問委員会のメンバー、グリーンスパンは社外取締役であった。
当初は、アラムコ=アラビアン・アメリカ・オイルのトラックの運転手から出発したオラヤンは、後に、サウジの石油マネーをグリーンスパンと協力し、米国銀行に投資する「仲」となる。
グリーンスパンをFRB議長に指名した、前任者のFRB議長ポール・ヴォルカーは、財務省の次官であったロバート・ローザの指導下で教育を受け、その右腕として出世の階段を登って行った人物であった。
グリーンスパンのボスはヴォルカーであり、ヴォルカーのボスは、ローザであった。
ローザは、ロックフェラー=ブッシュのハリマン銀行の取締役であり、ローザのボスはロックフェラーであった。