格差階級社会をなくそう

平和な人権が尊重される社会を目指し、マスゴミに替わって不正、腐敗した社会を追求したい。

麻生首相・政策「ブレーン」の正体

2008-09-24 10:09:39 | オルタナティブ通信

麻生首相・政策「ブレーン」の正体


 2008年現在、台湾財界の「独裁者」と呼ばれる辜一族の始祖・辜顕栄(ゴケンエイ、*注1)は、台湾中部の鹿港と呼ばれる地方の豪商・豪族の出身であった。辜顕栄は、青年時代から働く気がなく、生まれ故郷を捨て、台北へホームレスとして流れ込み、港でコメ輸出の人足等の仕事で、その日暮らしを行っていたが、やがて人足を、まとめ上げ船会社に派遣する「手配師」、つまりヤクザのボスとなる。中国大陸向けのコメ輸出が台湾・台北の重要産業となっていた19世紀末の事である。

 当時、台湾では中国本土の清王朝の政治家・官僚達が本国の眼の届かない事を利用し、盗賊化し、台湾市民の財産を強奪し、子女を強姦する等、犯罪組織化し、それが「公式の権力・政府機関」となっていた。「辜」は「罪・罪人」を意味する。「無辜」で「無垢」つまり犯罪者ではない事を意味する。辜の名前は犯罪歴のある人間、という意味であり、辜顕栄は、こうした清王朝の無法に反逆し、犯罪者のレッテルを貼られた罪人であった。中国では、辜という氏名は、ほとんど存在しない。「あいつは犯罪者だ」という意味のニックネームが、そのまま辜顕栄という氏名になってしまったのが、この一族の始まりであった。

辜顕栄は、清王朝への謀反心から、コメ輸出でも台湾で強い勢力を持っていたフランス系船舶会社に「拾われ」、その配下のヤクザとなり、清王朝系の輸出事業には関わりを拒否していた。この英仏の貿易船、それを護衛し「アジアへ侵略者として姿を現していた」この時代の英仏海軍に燃料・石炭を供給していたのが、日本の九州の麻生炭鉱(麻生グループ)であり、2008年、次期日本首相・麻生太郎の一族であった。麻生グループの親会社は、現在、フランスのタンカー・船舶会社ラファルジュである。

フランス系船舶会社に拾われ、その実働部隊のヤクザとなった辜一族と、麻生一族の接点は、この時代に始まる。

 19世紀末、日本軍が台湾へ軍事侵略を開始すると、辜顕栄は自分に犯罪者のレッテルを貼った清王朝打倒のため、この日本軍を利用し、日本軍上陸の道案内役を果たす。1895年、戦争に勝利した日本軍が下関条約で台湾を支配下に置き、清王朝を台湾から追放すると、辜顕栄は、その「働き」を高く評価され、台湾と中国本土への塩、砂糖の輸出専売権を日本政府から与えられる。

 塩の専売事業は中国大陸では、青幇、赤幇と呼ばれる中国マフィアの独占事業であり、塩の販売ルートは、そのまま麻薬の販売ルートであった。辜顕栄は日本政府公認の台湾の地下マフィアのボス、中国本土のマフィアへの地下ルート・パイプを握る「日本政府公認のヤクザのボス」の地位を得た事になる。

注意すべきは、当時の台湾の支配者である日本政府の総督・後藤新平は、中国支配の資金捻出を麻薬売買で行うべき、と主張する「日本政府を代表する麻薬専売事業」の推進者であった。後藤は内務省で薬物を扱う部署の局長(現在の厚生労働省に該当する)出身であった。辜顕栄は、日本政府から中国侵略資金の調達係、つまり麻薬販売係を任命された事になる。それだけ中国本土の麻薬組織とのパイプを辜顕栄が持っていた事を意味する。この中国本土の麻薬ビジネスの実働部隊=担当者であったのが後の首相・吉田茂、つまり麻生太郎首相の祖父である。

既に、この時代、辜一族と麻生一族の「ビジネス・ネットワーク」は出来上がっていた。

1934年、辜顕栄は日本軍支配下の台湾政府で、貴族院議員になっている。

第二次世界大戦後、日本軍が敗北し台湾から撤退すると、辜振甫は日本軍への協力者として、蒋介石により投獄され全財産を没収されるが、出所後、香港に亡命し、そこで再び財産を形成し、台湾に戻る。

 辜顕栄、その息子・辜振甫(庶子)は、親子二代に渡り華僑持ち前の商才を発揮し、現在、台湾・中国本土の両者で、和信電話、和信メディア、中国国際信託銀行、中信証券、中国人寿保険等、大手企業100社を超える一族経営の巨大コングロマリットを形成している。

財閥と共に、台湾マフィアのボスの地位を継承した辜振甫は、現在、台湾財界の総理大臣・独裁者と呼ばれている。

 過去、成長著しい中国経済の資金需要の中枢を担って来た台湾財界。そのボス中のボスが、この辜一族である。蒋介石によって投獄された辜が、出所後に起死回生を図ったのが香港であり、香港は辜一族の第二の故郷である。その香港財界と台湾財界を一体化し、台湾=香港=中国全土へと資金を流し込み、中国経済成長の原動力となって来た辜一族の活動のエネルギー源は、父のホームレス時代、犯罪者のレッテルを貼った「中国本土権力への、リベンジ」であった。台湾から香港・中国への資金の流れ、「企業支配の流れ」は、このリベンジの流れであった。

そのリベンジは中国の市場開放において、現在「果たされつつ」ある。

 このリベンジの「パイプ」、台湾と中国を結ぶ地下水脈は、旧日本帝国軍の与えた台湾と中国を結ぶ、マフィアの塩専売権(麻薬の専売権)のパイプの転用であり、その拡大生産版であった。辜一族が、その出自から「生粋の日本支持者」である理由が、ここから生まれてくる。

また創業者をホームレス時代、「拾い、育ててくれた」フランス系貿易商社との「連携」こそ、この一族の成功の秘訣であった。一族にとって香港が第二の故郷であれば、欧州フランス系企業は、第三の故郷である。

 現在、この辜(クー)財閥は、辜振甫の3男ジェフリー・クーが財閥全体を仕切っている。APECなどにはジェフリー・クーが台湾代表として参加している。そしてジェフリーの父=台湾財界の総理大臣と呼ばれた辜振甫の甥・辜寛敏は中国共産党への敵対心を激しく燃やし台湾独立の闘士として終生、戦い続けた政治運動家であった。その息子が、次期日本首相・麻生太郎の「政策ブレーン」リチャード・クーである。麻生・クー共に、欧州フランス・ロスチャイルドの船舶会社ラファルジュの「子分連合」である。

 2008年、リーマン・ブラザースが崩壊した。長年、野村證券・野村総研の上級研究員として対中国ビジネスを指揮して来た「親日派」リチャード・クーは、一族の第三の故郷=ヨーロッパ企業=リーマン・ブラザース欧州支部買収に「指揮権を発動」した。リーマンの中国ビジネスを「継承」する目算である(最終的にリーマンのアジア部門買収で妥結した)。

「日本・フランスと協力し中国王朝を打倒せよ」。犯罪者のレッテルを貼られた創業者以来の、クー一族の「血が騒いだ」のであろう。

 1930年代、クー一族と麻生一族の中国上陸の野望は、1945年の敗戦を持って失敗に終わった。2008年、麻生首相のブレーンとなった、クー一族は、再び過去の失敗を繰り返すのか?

野村総研で、クーと同僚であった経済学者・植草一秀は小泉の郵政民営化を厳しく批判したため、「口封じ」のために強制ワイセツ罪を警察によって「デッチアゲ」られ、職を失い名誉も失い、葬り去られた。文字通り、「社会的リンチ・魔女刈り裁判」であった。この郵政民営化でロスチャイルドのゴールドマンサックスは郵便局の資金を入手し、その資金で中国の「開発」を行い、核兵器製造を開始している。その核は日本をターゲットにしている。植草は日本の国益のために殉死した。この部下の「殉死」に報いる、弔い合戦を野村は決意しなければならない。部下を見捨てる会社は、やがて全ての部下に会社そのものが、見捨てられる。

ロスチャイルドと一体化した現在の中国「王朝」=共産党政府。「中国王朝打倒」を家訓とする、リチャード・クーは同僚の「殉死」を眼にし、また、かつて反権力を掲げ、中国政府の権力と終生戦い死んで行った、自分の父親の墓に「顔向け出来ない」行動を取る事は許されない。「投資とは、リベンジである」。これが一族の家訓である。

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首相の資質を問われる麻生太郎氏

2008-09-24 09:14:13 | 植草一秀氏の『知られざる真実』

首相の資質を問われる麻生太郎氏
福田首相が9月1日に突然、「政権を放り出した」ことに伴い実施された自民党総裁選で、総裁に選出された麻生太郎氏は9月24日に召集される臨時国会で第92代内閣総理大臣に指名される見通しだ。麻生氏は9月22日の自民党大会で挨拶に立ったが、9月22日が祖父吉田茂元首相の誕生日であることと、民主党との対決への意欲を表明しただけで、具体的な政策の方針に触れなかった。


1年間に2度も政権を無責任に放り出した自民党に対する国民の目は厳しい。有権者の信を問わずに政権がたらい回しされており、早期の解散総選挙が求められている。麻生政権の第一の課題は解散総選挙実施である。


2001年に発足した小泉政権は、「改革」の名の下に日本社会を根幹から破壊する政策を推進した。


①「市場万能主義=弱肉強食=格差拡大=セーフティーネット破壊」政策を推進する一方で、


②「特権官僚の天下り利権」を死守し、


③「対米隷属=日本売国」の外交政策、


を推進した。麻生政権が誕生しても、この基本路線は維持される。


麻生氏は2001年の小泉政権発足に際して、自民党政調会長に起用され、自民党における政策立案最高責任者として、小泉政権の政策運営を指揮した。その後も、総務相、外務相として小泉内閣、安倍内閣の主要閣僚の地位を維持し続けた。


2007年には安倍政権の下で自民党幹事長、2008年には福田政権の下で自民党幹事長を歴任した。2代続けて時の政権が「政権を放り出した」際の自民党幹事長であり、自民党最高幹部として、「政権放り出し」の連帯責任を負う立場にあった。


日本経済が不況に突入し、米国では金融不安が燎原の火のごとくに広がり、他方、国内では行政の管理不行き届きによって猛毒米が食品として流通する大事件が表面化している。自民党は、国政に一刻の遅滞も許されないこの時期に、「三文芝居」の「出来レース」総裁選を、丸々3週間の政治空白を生みながら、「祭り騒ぎ」に仕立てて実施した。麻生新総裁はまず、国民への「謝罪」を表明するべきだったのではないか。


麻生氏は「安倍氏は病気だった」、「福田氏の場合は民主党の「何でも反対」姿勢に問題があった」と発言し、安倍首相と福田首相の「政権放り出し」を正当化するかのような発言を繰り返しているが、政権与党としての無責任を認め、国民に謝罪する考えがないのか、スタンスを明確にする必要がある。農水省の白須事務次官は「農水省に責任があると考えていない」と発言し、更迭された。麻生氏が歴代政権の責任を否定するなら、麻生氏の進退問題に発展してもやむを得ない。


麻生氏の言動、政策スタンスについて、三つの問題点を提示する。一国の首相としての資質に関わる重要事案だ。国会でも十分な検討が求められる。


第一は政策主張の一貫性だ。麻生氏は小泉政権の発足から2003年9月まで、自民党政務調査会長の要職にあった。政調会長は政策立案についての自民党最高責任者だ。小泉政権の経済政策の最高責任者だった。小泉政権は「景気よりも目先の財政収支改善を優先」した。今回の総裁選での麻生氏の主張とは正反対の政策が実行された。


小泉政権の近視眼的「財政収支均衡優先」政策は失敗した。2001年度も2002年度も、5兆円の追加財源確保を含む「大型補正予算編成」に追い込まれた。テレビ司会者がしばしば、「小泉政権は財政出動に頼らずに景気回復を実現した」と発言するが、完全な事実誤認だ。小泉政権は激しい経済悪化に直面して、2年連続の大型補正予算編成に追い込まれている。


麻生氏は後述する1997年度の橋本政権の政策失敗を引き合いに出すが、2001年から2003年にも、まったく同じ失敗を繰り返している。その時の政策最高責任者が麻生氏自身である。「目先の財政収支改善よりも景気回復を優先すべき」ことを、麻生氏が「政策信条」とするなら、なぜ、小泉政権下で、政策最高責任者としてその主張を示さなかったのか。


2003年にかけて、日本経済はまったく意味のない大不況に引きずり込まれた。戦後最悪の「失業」、「倒産」、「経済苦自殺」が日本列島を覆った。「国民目線」でものを考え、「目先の財政収支改善よりも景気回復を優先すべき」との持論を持つなら、この局面で主張を貫けなければ意味がない。


「政治信条」、「国民生活」よりも「ポスト維持」が優先されたのだろう。「国民生活」よりも「政治家としてのキャリア実現」を優先することが「政治信条」なのだろう。また、「目先の財政収支改善よりも景気回復実現を優先すべき」ことを主張するなら、2001年、2002年の自分自身の失敗事例を掲げるべきだ。


第二は、後期高齢者医療制度についての発言、および年金記録改ざん問題についての発言迷走だ。舛添厚労相は福田内閣の閣僚だ。福田首相に何の相談もなく、また、政権与党の公明党にも一切説明せずに、次期総裁に選出されることが確実な麻生氏と会談し、後期高齢者医療制度の抜本見直し方針をテレビで発言した。巨大な血税を投入して導入を強行した制度の最高責任者としてあるまじき対応だが、政策の内容以前に、舛添氏の行動様式の是非について、麻生氏は判断を示すべきだ。


舛添氏は麻生太郎氏が2007年7月19日に富山県高岡市での講演で、中国と日本のコメの価格について、「78,000円と16,000円はどっちが高いか。アルツハイマーの人でも分かる」などと発言したことに対して、激しく麻生氏を非難した。昨年の参議院選挙のさなかでの出来事だ。


舛添氏は7月22日の大阪での自民党候補者の演説会で麻生氏とすれ違いになり、「来るなと散々言っているのに、来やがって。ふざけるんじゃないよ。バカなことを言うようなバカ大臣とは一緒に(選挙戦は)やれないよ」などと発言した。「バカなことを言うようなバカ大臣」というのが、舛添氏の麻生氏に対する評価である。


その舛添厚労相が、福田政権が終焉を迎えると、福田政権の閣僚でありながら、すかさず麻生氏に媚(こび)を売る。媚(こび)を売られた麻生氏は、舛添氏が現職の首相をないがしろにするスタンドプレーを演じているにもかかわらず、新内閣で舛添氏を厚労相として続投させる可能性が高いと伝えられている。


他方、福田首相は「ぶらさがり記者会見」で、猛毒米流通事件について質問を受けると、質問した記者に「じゃあどうすればいいの。あなたはどうしたらいいと思うの。」と詰め寄り、記者から「行政府を監督するのは首相ではないか」と切り返されると、首相は「末端まで全部?大変だな、総理大臣も」と逆切れして、得意の「他人事」発言を繰り返した。


また、麻生氏は年金記録が厚労省の指導によって改ざんされた、いわゆる「消された年金」問題について、「これは個人の犯罪だ」と断言した。しかし、舛添厚労相は「組織的関与はあったであろうと思う。限りなく黒に近いと思う」と発言した。民主党が年金改ざん問題について当事者からヒアリングをしたのは、本年4月だ。野党の追及に対して社保庁は9月9日になって、「年金改ざんが確認されたのは1件」との調査結果を発表した。


ところが、9月17日には「改ざんが6万9000件に達する」ことが公表され、さらに、19日には「6万9000件は一部である」ことが明らかにされた。


麻生太郎氏は9月22日の総裁就任記者会見で、「年金改ざん」は「個人の犯罪」と断言したが、この発言に誤りはないのか。舛添厚労相がすでに「組織的関与」を認めているのだ。


麻生政権は政権発足前から、ほとんど末期的な様相を呈しているが、内閣は国民に責任を負う日本で最重要の組織だ。組織の長が内閣総理大臣で、最終的に全責任を負う。行政機構の末端の不祥事も最終的には組織の長である内閣総理大臣が責任を負うのだ。福田首相はこのことを認識していなかったようだが、「いろはのい」に属することだ。


内閣の閣僚が首相に対する「筋の通った行動」を示さないのでは、組織ががたがたになるのも時間の問題ではないか。内閣のなかで「信義」を貫けない閣僚が、国民に対して「信義」を貫けるとは到底考えられない。「機を見るに敏」、「損得勘定で主義主張を自由に変えられる者」同士で、麻生氏と舛添氏はウマが合うのかも知れないが、「信義」を重んじない「利害と打算」の関係は長続きしないと思う。


第三の問題は、麻生氏が総裁選のテレビ出演で毎回述べていた「目先の財政収支よりも景気回復が大切」の主張についてだ。私は麻生氏が所属していた旧河野派=大雄会の研究会で定例講師を務めていた。大雄会の夏季総会でも講演をさせていただいた。1997年の橋本政権の超緊縮財政政策を最も強く批判したのは私だった。


5兆円の消費税増税、2兆円の所得税増税、2兆円の社会保険料負担増、による「合計9兆円のデフレ政策」を、私が重大な問題として取り上げた。日本経済を深刻な金融不況に陥らせるリスクについて、全力をあげて警告した。懸念は現実のものになった。橋本政権は財政赤字を減らそうとして、結果的に財政赤字を急激に拡大させた。


この失敗の教訓を生かす必要があることを定例研究会でも解説した。麻生氏もこのことを踏まえているのだと思う。だいぶ前のことになるが、ある方の紹介で麻生氏と三人で会談もした。麻生氏は総裁選で、1997年度の事例を引いて性急な財政収支均衡優先政策を排除することを主張している。この主張は間違っていないと思う。


問題は、麻生氏の説明が正確でないことだ。麻生氏は97年度について、「橋本蔵相の時代」と言うが、「橋本首相の時代」の誤りだ。


「消費税で5兆円、社会保障負担増加で4兆円、合わせて9兆円の増収を図ったが、結果的に税収は4兆円減少した。プラスマイナス13兆円も税収の見積もりを誤った」との麻生氏の発言を、私は総裁選期間中に5、6度聞いた。しかし、正確でない。事実は以下の通りだ。


政府の増収策は「消費税で5兆円、所得税増税で2兆円、社会保障負担増加が2兆円で合計9兆円の負担増加策」だった。増税が7兆円、社会保障負担増加が2兆円だった。


税収は当初見積もりが59兆4812億円。実績は53兆9415億円だった。社会保障負担は2兆円程度増加したと見られる。96年度の税収は52兆0601億円で、97年度税収は96年度比で1.9兆円増加した。当初見積もりに対して実績は5.5兆円少なかったが、数値を見ると、「7兆円の増税を実施したが、税収は1.9兆円しか増えなかった」というのが実績である。見積もり違いは約5兆円だった。


どこから、「9兆円プラス4兆円で合計13兆円の見積もり誤り」の数値が得られたのだろうか。根拠を示す必要がある。また、大増税を実施した政権は「橋本政権」である。有名だ。「橋本蔵相」は事実に反する。


麻生氏は総裁選に4度出馬した。総裁就任、首相就任に向けて政権構想を温め続けてきたと推察する。その大切な総裁選での「核となる主張」には、数字の正確さを含めて「万全を期す」ことが求められる。


また、麻生氏は本年3月号の「中央公論」に消費税率を10%に引き上げ、基礎年金を全額税方式に移行する提案を発表している。首相就任を念頭に入れて発表したはずの政策提言を、あっさりと引き下げたことについての説明も十分でない。


私は「景気回復を重視する」政策運営が適正であると考えるが、「財政支出の内容」がより重要な問題であると考える。場当たり的な、いわゆる「バラマキ」型の財政支出、裁量支出は「利権」に結びつきやすい。「国民の生活を第一に考える」、「制度変更を伴う支出」=「プログラム支出」の拡充が求められるのだ。麻生氏の政策を支持しない理由のひとつはこの点にある。


麻生氏は衆議院の解散総選挙に先立ち、臨時国会での補正予算審議を求めていると伝えられている。上記の多くの疑問に対して、麻生氏は明確な回答を求められる。与野党の活発な論争が提示されたうえで「決戦の総選挙」が実施されることが望まれる。
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