格差階級社会をなくそう

平和な人権が尊重される社会を目指し、マスゴミに替わって不正、腐敗した社会を追求したい。

厳正な事故賠償コスト強制が脱原発を誘導する

2011-04-07 19:31:43 | 植草一秀氏の『知られざる真実』

厳正な事故賠償コスト強制が脱原発を誘導する
原発放射能放出事故・農林水産物汚染・消費抑制の関係を改めて整理して、基本を確認することが重要だ。
 
 すべての元凶は放射能事故にある。重要なことは地震は天災だが放射能事故は人災であることだ。
 
 放射能事故は津波で発生した。日本は世界有数の地震国であると同時に津波国である。TSUNAMIという日本語は、そのまま国際語として通用する。それほど、津波は日本固有の自然現象である。
 
 1896年に明治三陸地震津波があった。東北地方太平洋岸に大きな津波が打ち寄せた。
 
 原発はこの世に存在する人造のファシリティーのうち、もっとも危険な存在である。その設置に際しては万全の安全対策を講じることが不可欠である。
 
 しかし、「絶対」はないから、原発保有そのものを断念するのが、人間の叡智である。賢者は最悪を想定するものである。
 
 東京電力と日本政府は、福島原発の構造設計において、1996年津波規模の津波への対応を怠った。その結果として、人類史上最悪の部類に属する重大な放射能事故を発生させた。
 
 大気、河川水系、土壌、海洋を放射能物質で汚染してしまった。その一環として、農産物、水産物の放射能汚染が生じた。
 
 消費者が放射能に汚染された農産物や水産物を忌避することは当然の行動である。政府は万全の安全策を取らなければならない。保守的な規制数値を設定して、規制数値を上回る放射線が計測された農産物、水産物の出荷、販売、購入、摂取を回避するための万全の策を講じなければならない。
 
 テレビなどの電波を通じて周知徹底しなければならないことは、
「放射能に汚染されたリスクのある農産物や水産物を摂取することのないように万全の対応を取ること」
である。
 
 ところが、菅-枝野体制は、放射能に汚染された農産物や水産物を、「直ちに人体に害を与える水準の濃度」でない限り、できるだけ積極的に購入し、摂取することを奨励している。
 
 政府のこの行動は、一見すると、罪のない農業労働者や漁業労働者の立場を大切に扱っているものに見える。放射能に汚染された農産物などを買わない、食べないとの行動を広く消費者が取り始めれば、農業や漁業が壊滅的な打撃を受けるから、できるだけ、そのような放射能に汚染された農産物や水産物を思い切って食べることが、被災地の人々を支援する行動であるかのような錯覚が生まれてくる。



しかし、これは大間違いである。
 
 放射能に汚染された農産物、水産物を摂取することは避けるべきである。
 
 この行動が広がれば、農業や漁業関係者が壊滅的な打撃を受ける。だから、放射能に汚染されたものを積極的に食べろというのは間違っている。
 
 大事なことは、物事の本質を明らかにして、誰が何に責任を負うのかをはっきりさせることである。
 
 問題の元凶は、東京電力と政府が、本来果たすべき責任を果たさずに、放射能放出という犯罪的な行為を引き起こしたことにある。薬害エイズ問題では、加害者が刑事責任を追及された。今回の事故でも、事故発生責任者の刑事責任が追及されなければならないはずだ。
 
 放射能放出という惨事を引き起こしてしまったことを踏まえ、リスクのある放射能汚染食物の摂取を回避すること、生産者等の損害を完全に補償することが求められているのだ。
 
 農業関係者、漁業関係者に対する損害賠償を完全に行うことが確約されるなら、大混乱は避けることができるのである。
 
 放射能に汚染された食物を積極的に食べろと言っているのは、菅-枝野ラインの政府だけである。彼らが、放射能に汚染された食物をどんどん食べろと言っているのは、農業関係者、漁業関係者を救済するためではない。自分たちの責任を回避するためなのだ。
 
 放射能汚染が広がれば、東電と政府の損害賠償金額は際限なく拡大してゆく。この損害賠償のお金を節約するために、危険な食物を「安全だ」、「安全だ」と繰り返し、「風評被害を起こすな」、「放射能に汚染された食物を積極的に食え」と絶叫しているのだ。本当に悲しくなるほど卑劣な姿勢である。
 
 東電と政府はこのような惨事を引き起こしたことをまずは、心から深く謝罪するべきである。
 
 そして、すべての損害に対して、完全に補償することを確約するべきである。
 
 損害賠償金額は法外な規模に達することになるだろう。
 
 これが、危険な原子力を安易に取り扱った「コスト」なのである。
 
 この「コスト」を直視するなら、安易に「原子力平和利用」などの言葉を口にできなくなる。
 
「原子力の平和利用」を「絶対」の安全性の下に実現することは不可能なのだ。
 
『東京原発』という題名の映画を見ていただきたい。主題は、原子力の安全神話に「絶対はない」というものである。
 
 エネルギー政策の基本方針に「脱原子力」を据えるしかないのだ。




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原発事故加害者が被害額大幅圧縮に突き進む暴挙

2011-04-07 18:52:22 | 植草一秀氏の『知られざる真実』

原発事故加害者が被害額大幅圧縮に突き進む暴挙
福島原発で発生した巨大な放射能放出事故で、政府がかたくなに避難エリアの拡大に抵抗してきた理由がより明白になった。
 
 原発周辺住民に対する損害賠償責任を算定するに際して、避難エリアのみを対象とする方針が垣間見えてきたからだ。
 
 安全性を基準に避難エリアが設定されたのではない。電力会社と政府の損害賠償金額を節約するために、避難エリアを過小に設定してきたのだ。
 
 政府は避難住民に対する損害賠償仮払金の支払いの検討に着手した模様であるが、損害賠償の金額を低水準に確定するために、慌ただしい動きを示しているとすれば言語道断である。
 
 避難者の生活の不自由を考慮して、あくまでも「仮払い」とのことで支払うのであれば正当であるが、仮払いの水準に最終的な支払い水準を誘導しようということであれば、近隣住民は明確に拒絶の意思を示す必要がある。
 
 1世帯当たり100万円との数値が報道されているが、桁がひとケタ違うだろう。近隣住民に責任はない。
 
 電力会社と国の責任は何%であるか。
 
 間違いなく100%である。
 
 その理由は、4月4日付記事
 
「明治三陸津波規模で発生の原発事故は明白な人災」
 
に記述したように、
 
①事故発生の主因が大津波にあること
 
②津波の規模は115年前の明治三陸地震津波にほぼ匹敵する規模であること
 
③福島原発が明治三陸地震津波並みの津波に対する備えを欠いていたこと
 

にある。
 
 安全対策に万全を期さなければならない原発の構造設計において、わずか115年前に発生した津波と同規模の津波を想定していなかったのは、明らかな安全設計義務違反であり、その責任は厳しく問われねばならない。
 
 責任は東電と国の双方にある。
 
 住民側の責任はゼロである。したがって、原状回復が事故発生責任者の負う賠償責任ということになる。




1世帯当たり100万円の補償で原状回復と言えるわけがない。避難住民8万人の全員に100万円を支払っても800億円である。最終的な東電と政府の負担金額を極小化するために、この金額が提示されたわけだ。放射能を撒き散らしたことの重大さを、これほどまでに軽々しく考えているということになる。
 
 この規模の損害賠償で、重大な放射能汚染事故の損害賠償責任を国と東電が済まそうということになるなら、直ちに全国の原子力発電所に対して、運転即時中止の大住民運動が勃発するだろう。当たり前のことだ。
 
 原子力発電が積極推進されてきたのは、

①電力会社にとって原子力発電がもっとも儲かる発電手法であること
 
②関連大企業にとって、発電所ビジネスがビッグビジネスであること
 
③関連学界にとって、原子力発電推進の論陣を張ることが、巨大な経済的利得を得る方法であること
 
④政治屋にとって原子力発電を推進することがカネを得る極めて有効な方法であること
 
⑤電波ビジネスにとって原子力発電を積極推進することが巨額の広告収入を得る方法であること
 
⑥霞が関官庁にとって原子力発電推進が天下り利権を拡張する有効な手法であること
 
によっている。
 
 電力会社を中心に、政・官・業・学・電の五者が利権複合体を形成して、原子力発電を積極推進してきたのである。
 
 住民は年中無休で生命のリスクに晒され、事故が発生すれば被曝させられ、自宅から避難させられ、あげくの果てに、およそ被害と見合わないカネを掴まされて、あとは泣寝入りしろと言うのか。これほど市民を愚弄する政府が、現代社会のどこにあるというのだ。
 
 この原子力ビジネス推進の最大の問題点は、いざ事故を発生させた場合の損失が無限大に拡散することである。
 
 今回の事故に伴う損害を正確に計測するなら、間違いなく10兆円は超えることになるだろう。このコストを厳しく当事者に背負わせなければ、また同じことが繰り返されることは火を見るよりも明らかだ。これをモラルハザード(=倫理の崩壊)と呼ぶ。
 
 1999年に発生した茨城県東海村のJOC原発臨界事故では、避難エリアは350メートルであったが、150億円の賠償責任が生じた。面積は相似比の二乗に比例するから、これを半径20キロにあてはめて、150億円を乗じると約50兆円との数値が得られる。
 
 避難範囲は本来、より大きく取られるべきであったし、近隣の農業、漁業に与える損害は計り知れない。これらを正確に計測して補償を行う必要がある。
 
 東京電力の昨年3月末の純資産は2兆1607億円。原子力損害賠償責任保険と原子力損害賠償補償契約でカバーできる金額が1兆8160億円であるから、両者の合計である約4兆円よりも東電の損害賠償金額が大きくなれば、東電は債務超過になり、株主責任が問われねばならなくなる。
 
 政府と電力会社には、事故に伴う損害額をできるだけ小さく計測する方向に強いインセンティブが働いている。どちらも、損害賠償金額を最小化したいと考える立場にある。
 
 政府が安全性や被害規模を計測するのは、交通事故を引き起こした100%責任を負う加害者が、被害者の損害金額を査定しているようなものなのだ。
 
 被害者が「痛い」と言っているのに、加害者が「だいじょうぶだ」と言って、損害がゼロに査定されているのだ。このような不条理がまかり通ってよいわけがない。
 
 被害を受けている一般国民、漁業関係者、農業関係者が被害状況を計測して、被害金額を確定してゆかなければならない。
 
 政府は、中立を装いつつ、先回りして損害金額を著しく不正に低い水準に誘導して確定しようとしている。その行為はもはや犯罪的ですらある。
 
 20-30キロ圏を避難エリアに組み込むことは当然であるし、また、その外側でも累計放射線量が極めて高い地域は避難エリアに組み込まねばならない。
 
 政府と東電の利益のために、国民に犠牲を強制する政府には、即刻退場してもらう必要がある。国民を犠牲にして原発事故発生の責任者を擁護する政府でなく、政府や電力会社に厳しく対処しても、国民の健康と安全を重視し、国民の権利を確実に守る政府を樹立しなければならない。


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最大の震災復興策 は 菅総理辞任 (田中良紹の「国会探検」)

2011-04-07 18:35:04 | 阿修羅

最大の震災復興策 は 菅総理辞任 (田中良紹の「国会探検」)
http://www.asyura2.com/11/senkyo111/msg/154.html
投稿者 純一 日時 2011 年 4 月 04 日 11:53:21: MazZZFZM0AbbM


http://www.the-journal.jp/contents/kokkai/2011/04/post_253.html#more



2011年4月 3日 23:57

 危機の時にリーダーが判断を間違えると国民は長い苦しみを味わう。

バブル崩壊から現在に至る「失われた時代」がそれを物語っている。バブル崩壊後の経済危機の時代に橋本龍太郎総理が「財政健全化」を断行した事が日本を長期大不況に陥れた。

 海部政権で大蔵大臣を務めた橋本総理は大蔵官僚の影響下にあった。1996年に総理に就任すると政府の債務が対GDP比で他の先進諸国を上回っていることを理由に、「改革」と称して消費税増税を行い国債を減らす緊縮財政路線を採った。

 その頃私はワシントンに事務所を構え、アメリカ議会情報を日本に紹介する仕事をしていたが、アメリカの学者も政治家も日本政府の緊縮財政路線に驚いた。そんなことをすれば内需は抑制され不況が到来する。日本は世界一の金融資産を持つ国で、債務と資産を比べれば、「財政危機」を騒いだり、「財政健全化」を言う状況ではない。それがアメリカの見方だった。しかし日本は緊縮財政に踏み切り、アメリカが予想した通り大不況になった。

 それより前、日本がバブル経済を崩壊させた時もアメリカの学者や政治家は呆れた。バブル経済による地価の上昇が問題になると、日本の大蔵省は金融機関に「通達」を出して不動産関連企業への貸し出しを一斉に停止した。「バブルを収束させるには余りにも乱暴。日本にバブル経済をソフトランディングさせる知恵はないのか」とアメリカは言った。

 「通達」というのは法律でも何でもない。「お上」が身内に出す指令である。ところがそれによって国民全員が奈落の底に突き落とされた。アメリカの懸念通り、混乱は不動産業界にとどまらず日本の全産業に波及し、経済大国を誇ってきた日本はあっという間に「失われた時代」に突入した。

 官僚は国債が増えれば金利の支払いが増え、その分税金の使い道が制約されるから困ると考える。しかし国債を持っているのは国民で、国民にとって国債は孫子の代まで収入を保障される資産である。それを官僚は「孫子の代までツケを残す」というレトリックで危機を煽ってきた。増税したいがためのレトリックである。

 アメリカから見れば橋本総理の緊縮財政は全く理解できない政策であった。橋本総理の後を継いだ小渕総理は、緊縮財政で不況を招いた反省から一転して国債を増発する政策を採り、自らを「世界一の借金王」と呼んだ。しかし既に大不況に陥った日本は国債発行で公共事業を行ってもカンフル注射程度の効果しかなく、病は癒えるどころか財政赤字が積み上がるだけとなった。

 そして小泉政権が登場すると再び緊縮財政路線が復活した。小泉総理は大蔵政務次官を務めた事のある「大蔵族議員」である。さすがに増税は封印したが、財政収支の黒字と赤字を均衡させると言って「構造改革」を始めた。ところが緊縮財政路線は税収を減らす効果を生み、財政収支はますます悪化した。

 また小泉政権は、強い者をさらに強くし、強い者の利益のおこぼれを弱者にしたたり落とさせる事で経済を上向かせようとした。ところが弱者は全く恩恵を実感できず、格差は開くばかりで、弱者はしたたり落ちるのを待てなくなった。それが09年の政権交代につながる。

 民主党が掲げたのは、したたり落ちるのを待つのではなく、国が弱者となった国民に直接分配して生活基盤を向上させ、国民に活力を与える事で経済を強化しようという政策である。それを野党は「バラマキ」と批判した。普通「バラマキ」とは「地域振興券」のように一回限りの分配を言う。一回限りだから効果は小さい。しかし子供手当のように恒常的に分配すれば政策減税と同様の効果がいずれ出てくる。

 ところが政権を失った自民党は対立軸を作るため、官僚が言い続けてきた「財政健全化」を持ち出して消費税10%増税を政策に掲げた。するとそれに同調したのが菅総理である。谷垣自民党総裁も菅総理も共に財務大臣経験者で橋本総理と同類項の政治家だからそうなる。日本は再び「失われた時代」のスタート時点に戻った。

 大震災が起き、日本が未曾有の危機に直面した時、与野党党首会談で同類項の政治家同士が話し合い、そこで谷垣自民党総裁が提案したのは復興財源を増税で賄う案だった。菅総理は谷垣自民党総裁に復興担当大臣としての入閣を要請したからその構想に賛成したのも同然である。

 橋本龍太郎氏は日本を大不況に陥れたが、官僚の言いなりになって政策を間違えた事に痛切な責任を感じていた。「国民に迷惑をかけた」と謝罪した。しかしこの時の教訓は危機に際しては初動が極めて重要だということである。石橋を叩く式の官僚的思考が危機をさらに深刻なものにする。だから大連立をしようが何をしようが同類項の政治家に危機を乗り切る事は出来ないのである。

 震災発生直後からの菅総理の行動を見ているとリーダーの資質がまるでない事がよく分かった。例を挙げればきりがないので書かないが、外国では見られないような対応が随所に見られた。だから外国の政府も私と同じように見ていると思う。

 問題は外国が資質のないリーダーに率いられた日本を御しやすいと見るか、あるいは自国にとっても利益にならないと見るかだが、現在の日本の危機的状況から言えば私は後者だと思う。特にアメリカのオバマ大統領は原子力発電の推進を掲げて大統領選挙を戦おうとしていた矢先だから、菅政権の対応には不信感を強めたと思う。

 来年はアメリカ、中国、ロシア、フランスなど大国が軒並みリーダーの交代期を迎える。その時期にはどの国も経済を上向かせたい所だから、日本に足を引っ張られたくはない。強いリーダーによって日本が危機を乗り切り、復興の初動で橋本総理のような間違いを犯さない事を望むはずである。

 菅総理は政権延命のための策として「平成の開国」と「税と社会保障の一体改革」を掲げた。それはアメリカと官僚に媚びる策であったから、震災と共に吹き飛んでしまった。これから必要なのは21世紀の日本をどう作るかという長期構想である。日本の国家改造計画である。

 戦後復興に比肩するプログラムを書かなければならない時、しかも初動を間違えないようにしなければならない時、菅総理が己を知るならばまずは身を引く事を考えるべきである。関東大震災では「大風呂敷」と呼ばれた後藤新平が帝都復興を計画したが、今回はそれ以上の規模の復興計画が必要になる。

 そうしたことに対応できるのは、かつて「日本改造計画」を書いた小沢一郎氏しか見当たらない。菅総理が後世の評価に耐えられる政治家になろうとするならば小沢氏に後事を託すことである。それが最大の震災復興策になる。


投稿者: 田中良紹 日時: 2011年4月 3日 23:57



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