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東電勝俣会長が原発損害賠償での経営破たん示唆

2011-04-22 18:37:22 | 植草一秀氏の『知られざる真実』

東電勝俣会長が原発損害賠償での経営破たん示唆
原子力損害賠償法第三条は、原子力損害を与えたときに、
 
「当該原子炉の運転等に係る原子力事業者がその損害を賠償する責めに任ずる」
との定めを置いている。
 
 しかし、同条には、
 
「ただし、その損害が異常に巨大な天災地変又は社会的動乱によって生じたものであるときは、この限りでない」
との但し書が付せられている。
 
 つまり、電力事業者の過失の有無が損害賠償責任帰属の決定要因になる。
 
 今回の原発災害は、津波により原子炉が電源を喪失したために発生した。地震による震度は5ないし6であり、事故は地震によって発生したものではなく、津波が原発を襲ったために発生したものである。
 
 福島原発では今回原発を襲った規模の津波を想定していなかったため、電源喪失という不測の事態を招き、人類史上最悪レベルの原子力放出事故を引き起こしてしまった。
 
 しかし、今回福島原発を襲った規模の津波が、想定できなかったのかと言うと、それは違う。
 
 1896年に明治三陸地震津波が発生しているが、この時の津波は、今回の津波とほぼ同規模であったと考えられる。いまから、わずか115年前に発生した津波は、地震や津波の教訓を語る上では、最近発生した津波事例と表現するべきものだろう。
 
 この規模の津波を想定していなかったことは、人為的な過失であったと言わざるを得ない。
 
 このような杜撰な安全対策で、「絶対安全」を看板に掲げてきたことを、関係者は謙虚に、そして真摯に考え直す必要があるだろう。
 
 したがって、損害賠償の責任はまず、東京電力が負わねばならないと法文を解釈すべきである。東京電力が負うことのできない損害部分が生じれば、その部分を政府が責任をもって負担するべきである。
 
 政府は原子力発電所の設置について、絶対安全な基準を設定する責任を有していたのであり、この点についての政府の過失は東電とまったく変わりがない。
 
 さらに見落とせない点は、3月12日に菅直人氏が福島原発を訪問したために、原子炉の圧力を低下させるためのベント作業が遅れたとの指摘があることだ。菅氏の原発訪問でベントが遅れたのであれば、菅氏の責任も重大である。
 
 ベントの遅れが今回の事故にどのように影響を与えたのかについて、現実に則した検証が求められる。



4月6日付記事
 
「原発事故加害者が被害額大幅圧縮に突き進む暴挙」
 
に記述したように、東京電力の純資産および原子力損害賠償責任保険、原子力損害賠償補償契約をすべて活用して東電が負担できる金額は約4兆円と見られ、東電の負担金額が4兆円を超えれば、東電は実質的に債務超過となり、経営破たんの危機に直面することになる。
 
 一部報道によると損害賠償金額規模は8兆円を超えると見られるとのことだが、そうなると東電は大幅な債務超過に陥り、破たん処理が必要になる。
 
 東電の勝俣恒久会長は記者会見で、
「資産をどれだけ売っても、(賠償負担を)『全額東電で』ということなら、とても足りない」
と述べたが、これは、損害賠償金額を東電が優先的に負担すると、債務超過になり、経営が破たんすることを開示した発言と理解できる。
 
 損害賠償の規模が8兆円を上回るのであれば、東電の債務超過=経営破たんは明確であり、当然、東電の株主責任と金融機関の融資責任が問われねばならなくなる。
 
 株主責任と融資責任を問わずに電気料金の引き上げによって、国民負担で東電を救済する案が報道されているが、言語道断の提案である。
 
 電力事業の公共性に鑑みて、電力事業を維持する必要はあるが、これと経営責任とはまったく別次元の問題であり、基本的には会社更生法を適用して、企業体としての責任を問う一方、電力事業を継続させるべきだ。
 
 資本市場のルールを適用するなら、株価はゼロになる。したがって、少なくとも政府はゼロから50円程度のレンジの中で価格を定めて、その株価で東電の全株式を取得し、一時国有化したうえで、債務処理をしたうえで、東電の再生を図るべきである。
 
 電気料金変更等の措置は、当然、その後の施策である。
 
 事実関係から明らかなことは、東電が経営破たんを招く原子力事故を引き起こしてしまったということだ。このことは、原子力事業に経済的合理性がないことを示している。事故がなければ火力発電より多少利益が多いが、事故を引き起こせば、一発で会社がすっ飛ぶというのが、原子力事業の現実なのだ。
 
 この費用対効果を現実に則して事業者に適用することによって、正しい経営判断が形成されるようになる。「事故を起こせば、会社が飛ぶ」との厳しい現実を踏まえれば、安易に原子力事業に突き進むという選択肢は自ずと消滅するはずだ。
 
 ところが、事故を引き起こしたのに、ペナルティーを科せられず、国民負担で事業者が救済されるなら、こうした厳しい判断は働かない。これを「モラルハザード=倫理の崩壊」と呼ぶが、政策がこれを誘導してはならないのだ。
 
 また、「風評被害」という表現が多用されているが、現実に大量の放射能が放出されたのだから、程度の差はあれ風評ではない。すべては「原発被害」に属するものであり、今後はすべての問題を「原発被害」として一括し、その範疇で考察するべきである。







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