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無実の小沢一郎元代表に対する裁判が進行中

2012-03-10 20:16:58 | 植草一秀氏の『知られざる真実』

無実の小沢一郎元代表に対する裁判が進行中




東京第五検察審査会が二度の起訴相当の議決をしたとして公判請求された小沢一郎民主党元代表に対する裁判で、検察官役を演じる指定弁護士が論告求刑を行った。共謀共同正犯であることから容易に想像がつく禁固3年の求刑であった。
 
 マスメディアはこれを、通常の裁判と同じように報道している。
 
 小沢氏の無実潔白を主張する市民も、通常の裁判と同じように、「必ず無罪を勝ち取る」との姿勢を示している。
 
 しかし、この図式で裁判を捉えること自体が、巨悪による陰謀の図式にまんまと嵌められていることを認識する必要があるのではないか。



裁判所による判決を固唾を呑んで見守るという姿勢は、あくまでも裁判所が中立公正、正義の存在であることを前提とするものである。
 
 ところが、小沢氏の秘書3名の裁判で、すでにこの前提は崩れている。政治資金収支報告書への記載が刑事責任を問われるような虚偽記載であると認定するには、その裏側に、実質的な犯罪が存在し、その実質的な犯罪を隠蔽するという重大な目的がなければならない。
 
 秘書3名に対する有罪判決を示した登石郁朗判事は、このために、検察が立証できずに、単なるアリバイ工作として法廷で演じた水谷建設関係者の信憑性の乏しい証言をもとに、裏金受領という実質的な犯罪を無理やり事実認定し、その上で秘書3名に対して禁固刑という判決を示した。
 
 しかし、公判廷で秘書3名の弁護側は、水谷建設の社用車運転手に対する証人尋問を行い、裏金が受領されたとされる日時に社用車が使われなかった事実を明らかにしている。裏金が受領されたとの証言の信ぴょう性が著しく低いことが明らかにされている。



つまり、この事実ひとつを取ってみても、一連の裁判が中立公正に行われていないものであることが明白なのである。
 
 何よりも重要なことは、裁判のなかに、中立公正な裁判が行われないケースが歴然として存在するという、重大な現実を私たちが認識することである。
 
 日本の裁判の不当性は一般論としてもこれまで指摘されてきたところである。起訴された事案の99%が有罪判決となる。被告が否認している事案でも有罪率は99%。英国などでは、否認事件での有罪判決の比率は約50%だとされる。この事実ひとつ見ても、日本の裁判所が検察とネバネバ癒着関係にあるとの推論を成り立たせるのに十分である。
 
 しかし、ここでいう問題は、一般的な公訴事案における判決の偏りということではなく、特定の政治目的を持った公訴事案における、裁判の特殊性である。
 
 日本の裁判所を最高裁事務総局が実質支配、実効支配しているという重大な事実が明らかにされてきた。新藤宗幸氏の著書『司法官僚』(岩波書店)などの功績が大きい。大半の裁判官は、その人事上の処遇のすべてを最高裁事務総局に握られているため、裁判官の独立性を失い、最高裁事務総局に隷属するとの状況に追い込まれている。
 
 裁判官のなかには、正義感と良心をもって、最高裁事務総局の指示に従わない、いわゆる正義派裁判官が存在するが、このような裁判官は、当然のことながら、最高裁事務総局からマークされる、いわゆる札付き裁判官となり、人事上の処遇で冷遇されてゆく。
 
 重要なことは、政治的な意味で特別の対象となる人物の公判において、最高裁事務総局の意向を受けて、担当判事が選任されるなら、裁判が始まる前に結論がすでに決められるという現実が存在し得ることである。
 
 つまり、政治的な意味で特別な人物に対する公判を行う場合に、最高裁事務総局がお墨付きを与えている、いわゆる「ヒラメ判事」を担当判事に起用すれば、判決を100%コントロールできる。



この場合、裁判を受ける意味はほとんど存在しない。
 
 私は自分が受けた裁判そのものが、この種の特別な裁判であったことを完全に認識している。
 
 その意味は、被告側が法廷において、完全な無実の立証を行ったとしても、それらの立証活動が何の意味も持たないということである。
 
 客観的な事実によって、明白に無実が立証されているにもかかわらず、これらの客観的事実とは無関係に、事務的な流れ作業のように有罪判決が示されるのである。
 
 したがって、この意味で無実を獲得するという目的のために裁判を受ける意味はないということになる。
 
 それでも、最高裁まで三審制を利用して最後まで闘うのは、無実の主張を最後まで貫いたとのアリバイを成立させるためだけになる。
 
 世間には、最高裁まで無実主張を貫いて闘わないと、無実の主張そのものをしていないのではないかと受け止める風潮がある。この風潮を重んじれば、三審制を最後まで利用するとの選択が用いられるが、上述したような構図が存在するなら、無罪を勝ち取るという意味での裁判そのものは意味がないということになる。
 





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 今回の小沢一郎元代表の裁判が公判維持されている最大の背景は、秘書3名の裁判において、裏金受領といういわゆる実質的な犯罪について、登石郁朗判事が不合理な事実認定を行ったことにある。
 
 しかし、この実質的犯罪こそ、東京地検特捜部が1年以上の時間をかけて、検察の総力を結集して発見しようとした対象である。しかし、結果として、東京地検特捜部は、実質的な犯罪を摘発することは不可能であるとの最終結論に至ったのだ。それを裁判所が、まったく信憑性のない、一方的な証言だけを採用して事実認定したことに、一連の裁判の茶番性がすでに明白に表出されているのだ。
 
 逆に言うと、この裏金の事実認定をしなければ、秘書3名に対する有罪判決を示すことは論理的に極めて困難であったとの事情が存在するのだ。実質的な犯罪がなければ、意図的に虚偽記載を行う理由が消滅する。その場合、虚偽記載の刑事責任を問うことは不可能と言わざるを得ない。
 
 秘書3名が無罪となれば、当然、共謀共同正犯の罪も消失する。すべての事案は「虚構」であったとの、空前絶後の真実が白日の下に晒される。このことが、日本の政治状況の大逆転をもたらすことは間違いない。
 
 そもそも、日本の政治を大逆転するために始めたすべての謀略が、そのまた大逆転になって終結することは、謀略を描いた巨悪の本尊にとっては、選択し得ぬ結末だったのだ。



裁判全体が謀略であるというのは、単なる「邪推」、あるいは、「うがった見方」ではない。
 
 すでに、明白な重大事実が表面化しているではないか。
 
 この問題が、新聞の一面トップを連日賑わせていないところに、この国の欺瞞性が如実に表れている。
 
 東京地検特捜部は、1年以上の時間をかけて、小沢氏無実の結論を出した。
 
 違法とも言える強制捜査が何度も繰り返された。
 
 ありとあらゆる捜査が行われた。
 
 村木厚子さん事件で証拠を改竄して、現在服役中の前田恒彦検事が、小沢一郎氏の裁判で証言した。
 
 東京地検は大量の人員を投入して大規模な捜査態勢を敷き、「検察と小沢一郎氏との全面戦争だ」と叫び、実質的な犯罪の発掘に全力をあげたことが証言された。
 
 このことは、東京地検特捜部が「見込み捜査」を行ったことを意味している。
 
 入り口は「虚偽記載」だが、「虚偽記載」が犯罪として立件されるには、裏側に「実質的犯罪」が存在し、その「実質的犯罪の発覚を隠蔽する」との「動機」が必要不可欠である。
 
 検察の捜査手法は、裏側の「実質的犯罪」の存在についての確証がない段階で「虚偽記載」について検挙して、そのあとから「実質的犯罪」を探し出すという手順を踏んでおり、「見込み捜査」、無実の事案による「別件捜査」という、明らかな違法捜査の手順を踏んでいるのだ。





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